新世代から見ると謎の習慣
近隣の支店の新入社員の歓迎会は暗黙の了解で参加するならわしになってました
隣の市の支店の新入社員の歓迎会に出向いた時のこと
「ところで新入社員は誰?」
「すみません 今日は予定があるみたいで来ていません」
送別会も含め、本人不在は2回経験しました
正直、私も新入社員時代 親睦を深めるためだけに行う無意味な集まりは好きではありませんでした 若手を責める気持ちにはなりません
身近な小集団=村社会から 疎外される 浮く 外れる ことを日本人は怖がって生きてきたように思います
「村八分」という言葉があるくらい 村社会で上手に生きていくことは大切だったのかもしれません 農耕民族の遺伝子ともみれます
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盲目に従うことを拒否する若者たち
新任チーフ研修で 目標や取り組むべきこと以外に「これは自分はやらない」というリストを作らせたことがあります ポリシーのあるぶれないリーダーになってもらいたかったからです
そこで書かれていたのは
「行くと 説教 自慢話 会社への愚痴 をばらまく飲み会はやらない」と書いてきた社員がいました 似たようなことを数名が書いています
親睦を否定してるのではありません
「やるなら 愚痴を聞いてあげる 困っていることを一緒に考えてあげる 飲み会にしたいんです」
盲目に集団に従う気はないが、必要なら集まるべきだ!
人の時間を使うのだから無意味な時間の浪費をしてはいけない
要約するとこういうことです
プライベートな時間重視 無駄な時間の浪費はしない 問題解決はシンプル・スマート・スピーディーに
村社会 から 都市型社会へ 流れが変わっているような気がします
村社会を否定はしません
村社会は「祭り」「季節ごとの行事」「村人のことはお互いよく知っている」などの利点もあります
失われる利点はありますが、次の世代は次の利点で社会を築いていくのだと思います
村から都市に若者が生活を変えようと移動してるようにも見えます
![f:id:TOMOHIRO358:20210313213823j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/T/TOMOHIRO358/20210313/20210313213823.jpg)
諸法無我
先日「諸行無常」と言いましたが、その対になる言葉に「諸法無我」があります この2つはお釈迦様の教えの根本を成す思想です
諸行無常 は 変化しないものは何一つない 変化こそ世の姿ということ
諸法無我 は 世の中のものはすべて持ちつ持たれつの 頼り合い 支え合う関係にあり 自分一人では何もできないという教えです
日本は意識するしないに関わらず仏教が心の奥深くにしみこんでいると思います 人は人がいてこそ組織行動できるので「諸法無我」なのです
村社会から都市型社会に変わっても「諸法無我」は変わることなないのではないでしょうか
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました
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