「最近の若い奴は・・・だ」
「若者の考えていることがわからない」
いやというほど耳にする言葉ですが、実はいつの時代も繰り返されている言葉です
明治時代の日本海軍でも頻繁に使用されています 「まったく今の若いやつらは・・・」幕末の混乱期を知らず平和になってから育ってきた世代・・・緊張感がない
でもその若者が士官に成長し、日清・日露戦争で圧勝するわけです
私の世代も「新人類」とか言われてました
今なら「まったくゆとり(教育)世代は・・・」でしょうか
とにかく人間は分類が好きなようです
人間はその時代時代に適応した気質になっていきます
環境に適したカタチで変化していくのです
昔がいい⇒さらに昔はもっといい・・・とさかのぼれば「原始人が一番いい」になってしまいます
原始人は5キロ先の獲物も見え、足も速く、寒さ暑さの中でも洞穴の中で生活でき、木の登るのだって段違いに早い
我々より優れたところはたくさんあります
でも面接に来たら雇う企業は皆無だと思います
今の社会に求められるスキルがないからです
人類は環境変化とともに進化していきます
オリンピックの記録も毎回更新されています
科学的な分析による練習メニューの進歩、栄養学の進歩により優れた選手が生まれてきます
若者は進化した人類なのです
という方向に話を持っていくと「古い世代は不要なのか・・・」と言われ始めますが、人間は常に経験学習していますから、経歴が長いほど多くの経験学習が蓄積されたビックデータです
育った環境が違えば思考も違いが生まれます この新感覚とビックデータがうまく共存し融合すれば素晴らしい組織になると思うのですが・・・
スポーツなどは根性主義から科学的な分析に基づいての選手の育成に進化しています
科学に偏れば精神論は薄くなります 時代変化の中で人間は懸命に生きているのです
たとえば藤田田さんの「ユダヤの商法」というベストセラーがあります
若き時代の孫正義さんなどは非常に感銘を受け、ビジネスの指標となった本です
この本は多くのビジネスマンに愛読されました 一時は古本で1万円を超えていました
昭和の時代に絶賛された本も、今の若者の評価は違います
「1つの考え方に偏った本」
「この考え方は間違いないからそうしろというたぐいの本」
などという所感が目につきます
高度成長期と低成長期の育った環境の違いでしょうか・・・
現代の若者は1つの方向が必ずしもいいわけではない
1つの考えはどこかで行き詰る ということをよく知っています
バランス感覚が発達しているようにも見えます
一つの偏ったものの考えに傾斜しません
この思想で進めば間違いない、こうあるべきだ・・・という意識高い系の孔子の儒教
自然の流れに逆らうことなく生きるべきだという無為自然の老子の道教
時代は必ずこの2方向の思考を生むのかもしれません
どちらがいい悪いではなく、この2つの思想がアクセルとブレーキになっている気がします
高い意識で20年延びた日本経済もバブル崩壊と共に20年の低迷期になりました、この低迷期に生まれ育ってきた中から次の救世主が出てくるような気がします