算命学 人生の羅針盤
算命学を学びたい方は大歓迎です
スキルアップのヒント

知識に優れる人は優秀なのか?

知識量で決まるのは学生まで

学生時代はどれだけ頭に知識を詰め込んだかが評価され、勉強で頭にどれだけ入ったかをテストで計られます

それにより進む高校も違ってきますので、極端な言い方をすれば知識が多い方がランクは高いという暗黙の了解が生まれます

横社会を生きる女性はさほど気にしませんが、縦社会を生きる男性は「東大出身」と聞くと相手を上にみたりします

学力に重きを置くのは主に家庭教育で、偏った親だと「学力=人間の価値」と子供に擦り込んだりします

「詰め込み教育は良くない」と「ゆとり教育」が生まれたりもしましたが、やはり大企業の採用の中心はいまだに上位ランクの学生となっています

多くの知識が頭に詰まっている知識が豊富な人は優秀なのでしょうか?

私は司馬遷の「史記」が好きなので、その中から趙括韓信を例に出しながら知識豊富=優秀か否かを考えてみたいと思います

論破王・趙括の末路

趙 括(ちょう かつ)は中国戦国時代の趙の名将といわれた趙奢の子 です

幼少時より兵学書をよく読みこみ兵法の知識はずば抜けていましたので、兵法論議で父の趙奢を論破し続けてました

いかなる経験豊富な将と議論しても趙括に皆論破されます

長平の戦いにおいて趙軍は名将廉頗の指揮で鉄壁の防戦していました

これに対して秦軍は2年経っても破ることができず、遠征軍であるが故に徐々に疲労が溜まり、士気が低下し様々な面で限界に来ていました

そこで秦は戦局打開のために一計を案じ「秦軍は老人の廉頗よりも、兵法の名家たる趙括が指揮を執ることを恐れている」という流言を広めます

趙の孝成王は兵数では大きく勝るのに積極策を取らない廉頗に対して不満を持っていたので、これを信じて趙括へ総大将を交代させます 

それを知った趙括の母は「息子を総大将にしないでください」と孝成王へ直訴します

「なぜ息子が総大将になったのに喜ばないのだ!」とう孝成王に対して「夫はいささかも奢ることなく、自ら酒食を勧めた部下は数十人、友として親しく交わった人は数百人に上り、頂いた恩賞は残らず部下に分け与え、出陣の命を受けてからは家のことを省みませんでしたのでその人望に人がついてきたのです」 

「一方、趙括は部下へは威張り散らすだけで、下賜品は全て他人には渡さず、日々値上がりしそうな物件ばかり見繕っており、こんな様ではとても父に及びません」

「人の命を軽んじる括では、将軍の命に耐えられません」と直訴します

それでも孝成王は容れず「では、どうしても括を用いられるのならば、どんな結果でも一族などに罪を及ばせぬように願います」と願いを継げます 

戦場に到着した趙括は廉頗の戦法を支持する将達を更迭し、兵法書の通りに兵を配置し直してから持久戦法から一転して秦軍に対し攻勢を仕掛け 大惨敗をします

40万人の兵士を失った趙は国力が大幅に低下し、その滅亡を早めることになりました

知識量は圧倒的に多いが結果は大敗し一国が滅びたという事例です

知識を活用できた韓信

一方、諸葛亮孔明とならび天才的な戦術家に『韓信』がいます

楚の項羽の下では評価されなかった韓信ですが、漢の内政を統べる蕭何は韓信の兵法の知識量に驚き、劉邦に韓信は国士無双と評し、その才を信じて全軍を指揮する上将軍に任命して軍権を委ねます

中国史に疎い方でも韓信の戦術である「背水の陣」「四面楚歌」は耳にしたことがあると思います

韓信は名将ぶりを発揮し垓下の戦いで5年に及んだ楚漢の戦いを終結させます

知識とは単なる道具です

 どんな名刀も腕の悪い剣士が使えば相手に勝てず、粗悪な刀でも腕のいい剣士が使えば名刀にみえます

知識が豊富な人が優秀なのではなく、知識を使いこなせる人が優秀なのです

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました