某メガバンクが3,000人の事務職を営業職に配置転換するというニュースは各社の事務職に少なからず影響を与えたようです
「あれは実質リストラ」
「事務職はAIに仕事を奪われる」
「経理部は真っ先に減らされそう」
当社でもいろいろ悲観的な声が飛び交っています
テクノロジーの変化で当然社会の仕組みも仕事の内容も変化します
現在は第4次産業革命、AI・ブロックチェーン・5G・・・車がEV化すればメーカーの下請けやガソリンスタンドも大きな変化を求められます
第1次産業革命により今までの農耕社会から工業社会に転換出来ました
第2次産業革命により電力の恩恵を受けています
第3次産業革命のときはコンピューターによる自動生産技術により大量生産が可能になりましたが工場に多くの人員が必要なくなりました
私が小学校の時社会科見学に行った工場は当時生産ラインに300名以上いましたが今は3人です それでも生産量は増え、ミスもなくなったそうです
古い町内の地図を見ると隣が氷屋さんでした「かき氷の店だったの?」「いや昔は今のような冷蔵庫がなかったからでっかい氷を切って売ってたんだよ」テクノロジーの変化でなくなった商売です
同時に私たちはその恩恵を受けます
社会の成長痛みたいなものです
社会に出て最初に配属されたのは採用企画部 採用1課 東京採用本部でした 新卒の大学生の採用です 新卒しかいない会社なので定期採用には非常に力を入れていた会社でした
最初こそ社長、役員まで出てきて大歓迎会をしてくれましたが、180名の採用予定に対して86名の採用数・・・大幅未達成です
東京・大阪・北海道・仙台・名古屋・福岡の総勢30名弱の採用スタッフが本部に集められ「社会人は結果だから」と冷たく言われ全員全国の支店に営業職として出されました
社会人1年目は集団左遷から始まったのです
北関東の中堅規模の支店に配属されましたが最初から営業配属の同期がちょうど芽が出始めた頃で自分の数字は地を這ってました
「辞めようかな」とも考えましたが、数字が出来るようになるとがぜん張り切って仕事に打ち込んでました
一緒に採用から営業に配置転換となった同期は1年で半分辞めました
「人事部に配属になり喜んでいたのに半年で出るなんて・・・」
「こんなに結果、結果、数字、数字の毎日は耐えられない」
私の親も「本部出たの?」と落胆していました どうも日本の親は東京の本社で働くがいいことだと思っているようです
辞めたメンバーは考え方の変換が出来なかったんだと思います
4年目に採用に戻されました その後は採用企画部→教育部→採用企画部→教育部を行ったり来たりしていましたが、支店長になりたかったため自己申告書にずっと営業志願をしていました
営業は数字が人格・・・ここをどう捉えるかです
平成はもう物があふれていましたからいいものを創るだけでは売れない時代でした
「ものは売れないと作れない」完全に作る側より売る側が強くなっていきました 川上から川下に主導権が移っていきました
支店長経験後、営業企画部課長で久しぶりに本部に戻りましたが完全に商品本部より営業本部の方が偉くなっていました
営業は販促力×人間力 そう思って無邪気に数字を追ってました
日本の商売の特色として「贔屓(ひいき)されることが1番大切」と言われます
そういう意味で営業職は人間的に非常に成長できます
また目標数字があることも人間的に鍛えられます
私個人世間的なステータスに無頓着だったこともありますが、仲の良かった先輩が「俺は3流大学の出身だから面接のとき『なんでも一生懸命売ります!会社がパンツ売れいうたらパンツ一生懸命売ります』いうたんや!」と言ってました その人は支店長になるのも早く、部下から絶大な人気を得てました 一緒にいて非常にいい氣を受け続けたと思います
個人の考え方次第ですが、私個人は営業は人間的に成長でき、数字を追うことにより鍛えられる仕事だと思います
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました