生存に必要なものは快楽からはじまる
人類にとって最重要なことは ①生命の維持 ②繁殖 です
生命維持のためには食事が必要不可欠ですが「美味しい」は快楽です
次の繁殖も快楽から誘発されます
労働も必要な行為であるならば、快楽を得る行為でなければならないと思います
1日の三分の一は労働なわけです かなり長い年月「学習期」⇒「労働期」があるわけです
マズローの欲求五段階説にも最終的な欲求は「自己実現の欲求」です
「お金を得るために仕方なく 嫌でも 辛くても労働する」を長期間続ける行為に若者が疑問を持つのはわかるような気がします
学習期(学生時代)が終われば、かなり長い労働期になるわけです
「休みの日が自己実現」「定年後が自己実現」では虚しさを感じるのも当然と言えば当然ではないでしょうか・・・
若い世代は労働観を見直し始めている
親、教師、上司がそれぞれ労働に対しての考え方を植え付けます
・お金をもらうんだから仕事は本来つらいもの
・生きるためなんだから仕方ない
・給料は我慢料
・就業時間はお金が発生しているんだからきつくて当然
・仕事は選べない 勤務地も選べない 上司も選べない
・楽しい仕事なんてない 面白い仕事もない
などなど植え付けられます
到底、魅力的には思えない言葉ばかりです
私も「入社したら楽しい日なんてない」「上司は絶対」「ノルマはやって当たり前」「転勤命令は絶対」等々いろいろ言われてきました
確かに目標をクリアすればさらに高い目標が待っています 「でも給料が上がり、さらにいい車に乗れる!」「つぎの海外旅行はどこ行こう」がモチベーションでした
自動車・海外旅行・スーツが原動力だったと思います 競争に勝ち進んで出世も楽しいです
その中でも 楽しい仕事はないが楽しそうに仕事をしている人はいる ということです
「どんな仕事からでも楽しさを見つけることができるのは才能」と言ってる方がいましたが、その通りだと思います
問題なのは若い世代に対して「魅力を感じることのできる労働観」を語れる人が少なすぎることにあります
見直すべき労働観
京都の会社の商品開発部長とお互いの会社の労働観を話し合っているときに「 守破離(しゅはり)」という言葉を教わりました
守破離(しゅはり)は、日本の茶道や武道などにおける師弟関係のあり方を表し「修業とは何か」を考えた 日本の文化が発展、進化してきた過程のベースとなっている思想だそうです
守=尊敬する指導者の教えを真似る・基本・基礎を習得
破=教えを破り、自分独自の技を作る
離=自分独自の道に進む
という意味です
「守破離」は学んだり成長したりする過程を表しています 一貫性のある労働に対する考え方は高次元の仕事を生み出します
多くの労働観は若者が大志を抱けるものではありません 私もそうですが、低い志の人間は低次元の労働観しか伝えることができません 「生きるために辛くても我慢して仕事はするもの」という発想自体その最たるものです
若者は決して楽を望んでるわけではなく「いい仕事がしたい」「人の役に立つ仕事がしたい」「人が喜ぶ仕事がしたい」と思っています
ものごとはスタートが肝心で 若者が腹に落ちるような高次元の労働観を語れる人が、今の日本には求められていると思います
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました