私たち人間は生きている植物、動物を食さなければ生命維持ができません
現代社会はその収穫を1次産業、加工は2次産業、提供はスーパーや飲食店などの3次産業が行ってくれますので原始世界の人のように狩りに出る必要がありませんがその本能は残っています
平成は日本の近代史の中では唯一戦争がなかった時代です
攻撃本能は抑え込まれ、歪められ私たちの本能の奥深くに存在します
子供は残酷で猫と同じく面白半分に虫を殺したりします 私の母親も「むやみに命を奪ってはいけない 虫にも魂がある こちらに害を与えてないものを殺しちゃダメ」と諭していました どこの親も同じだと思います
当時我が家には大きなクモがおり、母親は見つけるとほうきなどで滅多滅多に叩き潰します
ある日、図書館でそのクモを調べると人に害は与えることはなく、むしろ他の害虫を駆除してくれるありがたい存在だったのです そのことを母に伝えると「あんなのが家にいたら気持ち悪い」でした このことを詩にしたら県の文苑で小学生低学年の部の大賞を頂きました
人は醜いというだけでも攻撃本能が稼働します
攻撃というといかにも勇ましく聞こえますが、不利な状態から一目散に逃げだすのも攻撃本能です
守備本能が不変なのに対して、攻撃本能は常に変化する状態です 変化させまいとする心に対して変化させようとする心です
自衛隊、警察、また武道など こちらからは攻撃は仕掛けないけど危険な状態などでは稼働する守るの精神です 対してこちらから仕掛ける攻撃は悪にとらわれがちですが、危険なウイルスと闘う、他社との闘いに勝つなどは攻撃本能です
資本主義は競争の原理で成り立ってますので、この攻撃本能を原動力として動いています
他社・消費者との闘いが熾烈であれば攻撃本能はそこで激しく消耗します いじめ・いびりなどの低次元なものに稼働しなくなります
攻撃本能が消耗すれば人はクールダウン=休息を求めます 自分へ、一緒に戦った仲間へいたわりも生まれます
この競争の弱い職場では歪んだ攻撃本能が変なカタチで出ます 一時期ニュースで騒がれた教師の教師に対するいじめなどがその例でしょう
教師の世界が歪んだ攻撃本能などというつもりはありません 厳しい受験戦争と闘う 不良生徒たちと闘う やっかいなPTAと闘うのであれば攻撃本能はそこで消耗されます
闘いのぬるい状態(職場)・・・ここで攻撃本能は消化されず歪んだカタチで出てくるような気がします
攻撃も単独攻撃、集団攻撃に分かれます
単独攻撃は単独守備と同じで一匹狼 自分ひとりの力で闘う精神です 直情で単独行動を得意とし一人で闘いを挑む
集団攻撃は組織力で闘う そこには統率がないと組織が上手く動きませんので命令系統が絶対の縦組織が生まれます 守備本能から生まれるのが横組織なら攻撃本能から生まれるのが縦組織です
また闘いには「我々の行動は正しいのだ!」という大義名分が生まれます 闘いに勝つには強い弱い以上に相手の大義名分を崩すことが勝つことにつながります
攻撃本能が高い次元で稼働して生まれるのが義徳と言われます
全ての本能は高次元・低次元があるのです
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