優秀な学校から採用すべきなのか
私は入社時にバブル経済が崩壊したので就活自体は超売り手市場の時でした
就職氷河期世代やコロナ下の就活をしていた学生と比べれば格段に恵まれています
本来採用していなかった大学にも採用枠を広げざるを得なかったため、学校名による差別がなかった時ですが、会社の歴史の中では『谷間の6年』などと呼ばれてました
そこだけ人材の質がへこんでいるという意味だと思います
採りたい大学生が思うように採れず、必要人員確保に精一杯だった期間です
バブルがはじけたとはいえ、大学生の売り手市場は3年ほど続きますが、やがては難関校にシフトしていきます
採用企画部時代に部長に「偏差値の高い大学の学生を採用するメリットは何ですか?」と聞いたことがあります
上の人間は「大学名で人の価値は決まらない」などと言いますが、言っていることとその行動に矛盾があるので聞きたくなります
①勉強量が多い=努力をしてきた実績がある
②一流企業に勤める同級生が多く情報の質・考え方の質が高い
と回答してくれましたが、完全に腹落ちする内容ではなかったと記憶しています
学歴フィルターはあるのか
情報民主主義の現代において『学歴フィルター』が問題視されています
「会社説明会の応募しようとしたら『今年の採用は終了しました』『満員です』など表示されるのに、偏差値の高い大学で応募したら説明会の募集ができた」などで「フィルターがかけられてる!」としばしば炎上します
学生も消費者なので企業もその存在が知れるのを恐れます
リクナビ・マイナビなどは受け入れる大学名にレ点を打ち最初に設定できます
現在、私がしていしている張本人なのでハッキリ学歴フィルターはあると言いきれます
学生からすれば「学校名で差別をする企業だ!」と言われればそれまでです
企業目線で見てみれば
①今期の採用目標数とその予算がまず設定されます
②面接可能人数が設定されます、面接官は自分の業務の片手間で行うので面接できる学生に限りがあります
③入社案内数などにも限りがありますのでむやみに配布できません
④会社説明会などから選考に進む数を予測し、会社説明会の参加人数を割り出します
⑤最後に何校くらいに門を開くかが割り出されます
と逆算して計算され、売り手市場の時には門が広く、買い手市場の時には門が狭くなります
世の中は相場で全てが決められるのです
門を広げ過ぎてキャパ以上の学生に応募されたら選考ではさばけず、入社案内なども不足してしまいます
内定辞退者数が予想より少なく、最後に会社説明会に来た学生達全員を選考で落としたことがあります
営業のように目標より売り上げて褒められる業務もありますが、採用目標はピンポイントでプラスもマイナスも許されません
早い者勝ちのところもあります
門をどこまで開放するのかが学生の言う学歴フィルターの仕組みです
採用活動は慈善事業ではないので、どこかで線を引かないと活動が混乱してしまいます
頭のいい人が良い業績を残すのか
「先生!2次関数は社会に出てからどんなところで使うんですか?」
などと生徒に聞かれ返答に困った教師の話を聞いたことがあります
皆さんも「一生懸命勉強しているが、これは社会に出てから必要な知識だろうか?」と考えたことはないでしょうか?
「頭がいい人の方が業績はいいのでしょうか?」
入社から166人の同期入社と競争をさせられましたし、採用・教育で多くの若手社員を見てきました
支店長時代は2人の新人を同時に預かったことも何度かありました
私の経験値の中から見てみれば『業績の良し悪しは行動量で決まる』と思います
頭が良くて「優れた分析」「素晴らしい考え方」をしても行動に移さなければ現実は何も変化しません
よく行動に移す人間は失敗も多いですが、体験学習量も多いです
やってみて、成功しようが失敗しようがそれは一つの学習なのです
社会では行動した量が多い⇒学習量が多い⇒スキルが磨かれる⇒業績がいいとなっていくようです
頭がいいのに「優れた評論家」で終わってしまう人もいます
何かを提案すると「ダメだ」「うまくいかない」などとマイナス面ばかり言う人がいますが、若手社員に忌み嫌われます
「絶対上手くいかないよ」「ほらね」という姿勢の人も同僚に嫌われます
頭が良いと「失敗する可能性まで考えてしまう」ようです
頭の良し悪しでなく、行動した量の多い人間が社会では頭角を現すのだと思います
やってダメだった後悔は時間と共にどんどん小さくなっていくが
やらなかった後悔はどんどん大きくなっていく
ならば、社会に出たらどんどんやってみることが重要ではないかと思います
「いい大学を出た」を自慢するより「こんなに多くの失敗をした」の方が社会では自慢できそうです
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました