昭和と令和では転職環境が違う
平成中期ぐらいまでは転職する人を裏切者を見るような目で見る人が多かったです
その頃までは終身雇用が一般的だったので「忠儀心のない奴」と特に昭和入社の人はさげすんだ目で見てました
就職氷河期を経て企業も「ずっと同じ場所に居座る奴は成長しない」「環境変化で雇うのが苦痛になる時がある」と気づきはじめ、社員も「自分に合う環境に移るのが自然の摂理だ」と考えるようになります
令和に社会に出た者は昭和入社の終身雇用の摺り込まれた社員を『ぶら下がりおじさん』などと不思議な動物を見るような目で見ますが、何十年もぶら下がるにも能力が必要です
自然界では季節に応じて大移動をする動物や、ある一定のエリア内で移動する動物が多いですが、ナマケモノやコアラのように一つの木にぶら下がり続ける動物だっています
ナマケモノは強烈な爪をもち、ぶら下がっている真横でピストルを撃っても微動だに動きません
排出物は木の栄養分にもなっており、木と共存しています
コアラも可愛い見た目とは違い大きく強い爪を有しています
動かないことが立派な生存戦略となり、それに合わせた進化をしている動物です
昭和は「寄らば大樹の陰」という生存戦略でしたので、大企業と呼ばれる大きな木に最後までぶら下がり続ける強靭な爪をもった人たちがたくさんぶらがっていた時代で、高度成長期という環境により、それが企業にも都合よかったのです

環境変化が激しくなり働き方も変わる
私の叔父は10年ほど前に大手新聞社を退職しましたが、平成中期までは年間休日84日、早朝出勤や深夜残業が当たり前で65歳まで雇用してもらっていました
周りが年間休日120日以上+有休消化が当たり前になるなかでも「転職など考えたこともない」と言い、終身雇用は当たり前で「本当にいい時代を生きた」と言い切ります
その息子は「オヤジはいい大学を出て頭もいいのに、一つの会社で飼い殺されてスキルの伸びない人生を送らされた」と言います
流動性の高い世代から見ると固定化された世代の生き方はそう見えるようです
日本経済が長期にわたり伸び続けた時代は「学生のうちから青田刈りをして生涯我が社に囲い込もう」という考えが正しかったといえます
人手は必要になったりいらなくなったり、求めるスキルがどんどん変化する時代になると人材の固定化は害になります
現在求められているのが『人が解雇しやすいが転職もしやすい労働市場』です
転職に対する考え方はどう変わるのでしょうか?

昭和は籠の中で鳥を飼い 令和は渡り鳥がスタンダード
中間採用の面接をしていると「より良い環境を求めてキャリアを磨こう」という転職者と、なんとなく嫌になって不平不満のみで動く転職者とがいます
面接では大概どちらなのかは見抜かれています
企業側も『人材採用』と『人手補充』の採用に分かれます
転職が3回以上の人の共通点は『環境や安定に拘らず自分の理想を追い求める精神的強さをもっている人が多い』と言われています
そのうち60%が自分にあった働き方を見つけているそうです
逆にみれば40%はあった働き方ができずにさまよい続けることになりますから「転職することが正しい」とは言い切れません
「40%の確率で不幸になるんだから転職などせず、今の会社にいるのがいい」と考えるか「60%が理想の仕事にだ合っているのだから動くべきだ」と考えるかの微妙な確率です
平成後期より企業側も転職経験者を高く評価する傾向があり「変化に柔軟に対応できる傾向が強い」「視野が広い」などを評価しています
特に52%の企業が3回以上の転職経験のある人に対しては「経験豊富で即戦力になりやすい」と好意的に観ています
ただし、定着しないリスクもあると警戒もしているようです
同じ会社に長く勤めている人より働く満足度は高く、健康寿命も3年ほど長いようです
転職が4回を超えると管理職になれる確率は25%減るそうです
多用な経験が評価されるようですが組織内での昇進は慎重にみられています
独立・起業に関しては転職経験が多い人の方が圧倒的に成功率が高いですが、貯金額はずっと同じ会社にいる人より15%低いそうです
「なんとかなるさ」という将来への楽観的な見方が備えに対しての危機感を薄くさせるのでしょうか
恋愛や結婚への満足度も高いようで、多様な経験で育まれた共感力や会話力が良好な経験を築くのに役立っているそうです
昭和では評価の低かった転職者ですが、令和では転職が多いということは『自分の幸せを軸にした前向きな選択ができる人』という評価に変わっています
「籠で飼うのが都合よかった昭和」と違い、自分に合った環境に移動するのは極めて自然な行動だと考えるようになったからだと思います
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました