「退路を断つ」は短期的には正しい
よく企業では『背水の陣』という言葉が好んで使われます
特に決算期などの売上の追い込みに「この3ヵ月は背水の陣で挑む!」と私も営業本部長などに何度か言われたことがあります
漢の名将・韓信(かんしん)が趙と戦いをした時、圧倒的に兵の数で不利な状況でわざと川を背にして陣をとり、味方の軍に「退却することはもうできない!」という必死の覚悟をさせ退路を断ち戦います
退路を断たれた兵は、いつもの数倍の早さで弓を射り圧倒的に多い敵に勝利します
この作戦を「背水の陣」と呼び今でも多くの人が好んで語ります
「退路を断って、覚悟を決めて戦う」という何ともカッコイイ話を若い頃の私は非常に好み、特に支店長時代はよく使っていました
「退路を断つ」「死中にかつ」などは短期的には非常に有効ですが、人生という長丁場では自分の心を疲弊させるだけに見えてきます
逃げ道を作ることの大切さ
「逃げ道をつくる人は失敗する」「本気で挑戦するなら退路を断つべきだ」
勇ましくてカッコイイ姿勢です
昭和の労働期間は35年くらいですが、令和に社会に出る人は60年以上になりそうですからかなりの長丁場になります
「退路を断て!」という人は失敗して立ち直れなくなっても、彼らは責任を取ってくれません
むしろ長丁場を生きるこれからの世代は『生き残るための逃げ道をつくっておくべき』と思います
これからは労働期間が長くなるだけでなく、変化が激しく、ゲームチェンジャーも現れるかもしれません
作家の有川真由美さんは「逃げ道があれば、困難を乗り越えられ、思い切った挑戦ができる」と言います
「会社優先の生き方」ではなく「自分優先の生き方」にシフトするための考え方を述べていました
「逃げ道がない」という状況は、「ここぞ」というときは効力を発揮しますが「ずっとその状態ではほんとうにしんどい」と言います
特に50歳からは「逃げ道を用意しておいたほうがいい」のです
なぜなら、自分自身の人生に対して責任があるからです
心を病んだり、身体を壊したり、破産したり、逃げ道がないばかりに悲惨な末路をたどった人も多くいます
逃げ道を作ることは最悪の事態を避けることで自分の人生、家族の生活に責任を持つことになります
生活があるからと逃げ道をふさいで走ってきた人は、つらくても耐えることが当然であり、辞めることは「恥」「罪悪」と捉える傾向にあり、ほかの選択肢に目がいかず再起不能になることもあります
ほんとうに「自分の人生に対して責任がある」と考えるなら、不幸にならない『逃げ道』を用意して、どんな状況でも生き抜けるようにしておいたほうがいいのです
自分の役割は自分でつくる時代
「最後はこれがある」という選択肢をもっておくのは、心の保険のようなもので困難を乗り越えられたり、思い切った挑戦ができたりします
「40歳で課長になれなかったら辞める」
「月の収入が〇〇万円を切ったら辞める」
「5年で芽が出なかったら辞める」
など、限界線を決めておくと前向きな撤退をすることができます
頭の片隅に「辞めても〇〇がある」と考えているだけでも人生の歩み方はずっと楽になると思います
有川 真由美さんは『複数の選択肢を妄想することが楽しくてたまらない』と述べています
「カメラマンの道」
「田舎で物々交換をして暮らす道」
「台湾で日本文化を教える道」
「民宿経営の道」
「熟女ホステスの道」
「占い師の道」
などを妄想しているそうで、確かにこれだけで人生楽しくなってきます
40代50代になると自分の「次の手」と「引き際」を考え始めることも大切になってきます
歌手や俳優で人気絶頂のときに惜しまれながら、引いていく姿は『引き際の美しさ』を感じます
一方、シニアのお笑いタレントで「1でも笑ってくれる人がいるかぎり続ける」と言っている人にも美学を感じます
『引き際を決め、次の手に移る』も『使命感を持って継続する』も、どんな立場であれ『自分の役割を見つけた人は強い』と感じます
『自分の役割は自分でつくっていく時代』がきており、企業依存の生き方で衰えてしまった「主体性」を取り戻すことになります
自分なりの主体性の発揮の仕方を考えて悩んだり、希望を見つけたりすること自体に意味があると思います
「逃げ道」と表現すると卑怯な道のように聞こえてしまいますが『新しい自分の役割の実現』と表現すれば明るく感じてきます
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました