人に身についている擬態
「擬態」という能力を持った生物がいます
カメレオンが周りと同化したり、昆虫が植物と一体のようになったり、捕食されるのを防ぐための能力です
擬態は単独で動く生物に多く、人のような集団で動く動物は『周りに同調する』という『心の擬態』が身についています
集団から取り残されるということは古代では死を意味しましたので、何としても集団から排除されないようにしなければなりません
・自分は能力が劣ると悟られたくない=見栄を張る
・自分は全く異なる考えをしていると悟られたくない=同調しておく
・自分は冷たい・身勝手・自己の利益だけと思われたくない=いい人の演出
など集団から排除されないように『一種の擬態』に似た能力があります
・いい人と思われたい
・有能な人と思われたい
という無意識の演出をするのは遺伝子に組み込まれた防衛本能です
「この人なに言ってるの?バカじゃない」と思っても平然とうなずいていられる能力を有しています
いい人でありたいという仮面
「家弁慶」という言葉がありますが、外では協調的でなんでも従うくせに、家に帰るとわがまま勝手に自分の自我を押し通す人です
協調的でおとなしい姿は『擬態』ということです
「いい人でありたい」と言う仮面は思いのほか疲れが蓄積します
「いい人願望」というのは悪く思われると人間関係のストレスが増す、だからできるだけそれを避けたいという心理から起こるようです
建功寺住職の枡野俊明さんは「仮面をかぶり続けているうちに自分の本心がわからなくなってしまう人が多い」と指摘しています
「いい人でありたい」の他「自分を理解してもらいたい」という欲求が強く疲れている人も多いそうです
人から理解してもらえないことは、寂しさや孤独をもたらします
枡野さん曰く「人は他人のみならず、自分のことすらまともに理解していない」と言います
「自分では自分のことを一番よくわかっていると思い込んでいるが、実のところそうとは言えない」のだそうです
「自分のことですらよく理解していないのだから、他人から正しく理解されたいなどは前提からして間違っている」と指摘しています
これは〈親子〉などの特別な関係でも同じで『半分でも理解してもらえば上々』が現実なようです
「人と人は理解し合うもの」という期待が強すぎるようです
等身大の自分で生きる
仮面を脱いだ『素の自分』に自信が無い人がほとんどだと思います
めんどくさがり屋で、マイペース、嫌なものは嫌、人に合わせるのは苦痛、指示されて動くのなんてまっぴらごめん・・・
スピード離婚などはそのいい例で、相手に気に入られたい仮面をお互いつけていた時はいい関係だったが、素の自分を出したらお互い耐えられない・・・ということではないでしょうか
「性格の不一致」などとよく言いますが、そもそも自分にないものをもっているからこそ引き付けられることが多いのです
枡野さんは「不特定多数の人たちに『良く見せればそれだけ多くの賞賛が得られる』と自分を盛り続けていると『ありのままの自分』がいつまでたっても成長しない」と言います
『等身大の自分』という言い方をしますが、人は等身大の自分を自覚して生きてこそ、人間関係から様々な教えを得ます
枡野さん曰く「自分を盛ってしまう癖がつくと、極端な話『偽りの人生』になってしまう」
いい人という仮面は社会では大切ですが、素の自分とのバランスが非常に大切だと思います
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました