強者へのアレルギー

強い人間を忌み嫌う人達
高市早苗さんが総裁になったことに対して期待と喜びの声が大きい反面、反発する人も多くいます
この現象に対して『自分の頭で考えるコツを教えてください』の著者である浜田陽介さんは「強い奴が怖い人たちの反発」と述べており、大いに共感しました
「働いて!働いて!働いて!ワークライフバランスなど関係なく・・・」という言葉は自分を鼓舞するための言葉であって、国民に強要しているわけではありません
なのになんで?と思いますが、ぬるい職場でゆったり政治家としての余生を送りたい人たちは猛反発します
弱者から見ると強者は
・能力主義
・激しい競争の環境に変えてしまう
・ぬるさを許さず、意識の高さを求める
・変化につぐ変化の社会を創りしんどい
と非常に生存に苦しい環境に変えてしまいます
「変化したくない」「能力で決められたらたまったものではない」「競争は嫌いだ」「まったり、ゆったり生きたい」というのが弱者で、強者は凶者にしか見えずに排除しようと躍起になります
能力のあるものを重視し、意識の高い者を評価し、努力させ、切磋琢磨させながら社会をより良く変化させていくのが強者のリーダーシップです
「このままではいけない!今こそ変わるべき!」と口にするくせに「強い奴か嫌い」「強者は怖い」という深層心理が強くある人々も多いようです

人は苦境に立つと強者を選ぶ
強者嫌いな人たちはリベラルな社会を求めます
「性的少数派を認めろ」「能力に関係なく平等な社会を創れ」「弱くて能力の合ない私にもスポットをあてろ!」と叫びます
アメリカ大統領選も強いトランプ対弱者にやさし(そうな)ハリスの一騎打ちでしたが、アメリカ国民は強者を選びました
大人しい日本人も弱い総理が3代も続くと、流石に強い総理を求めます
日本は強い総理の後は弱い総理が3代続く流れになってしまってますが、この流れはそろそろ断ち切ってもらいたいものです
弱い権力者がダメだとは言い切れません
これは社会情勢・環境に合わせて「暑いから冷房」「寒いから暖房」と変えるようなものだと思います
魔の民主党政権の後に国民は安倍政権を支持しましたし、今回も3人のダメ総理の後なので高市政権にすがる思いで期待しています
石破内閣とは比べようもない『能力主義人事』が断行されると思います
ぬるくて弱い内閣から熱くて強い内閣に変わるはずです
毒饅頭の公明党もすっぱり切り捨て、もう一度日本を選択してもらいたいと期待されるところです
強いやつに反発するのは賞味期限の切れたオールド野党で、新しく志をもって立ち上がった新興勢力は大歓迎しています
自民党内議員から野党まで『能力の高さと気概に強さが分別できた』という点では、この一連の高市たたきは「いざという時に日本の役に立つのは誰か?役立たないのは誰か?」がよく理解出来ました

平成は強者排除の社会だったかもしれない
平成不況に突入すると「○○ハラスメント」という言葉が次々に生まれました
昭和入社のモーレツ世代の人達は就職氷河期世代には忌み嫌われていました
・気合などの熱量を重んじる
・昔話・自慢話・説教が多い
・俺様管理職
・弱者の気持ちに配慮しない
・能力・実績主義
・競争を重んじ、敗者に冷たい
・飲み会などの強要
・権力など「力」が全て
などの情熱的だがついていけない人達に映ったと思います
就職氷河期は需要と供給のバランスが冷え込み、個人ではどうすることも出来ない環境変化なのに「努力が足りない!自己責任だ!」「私が君くらいの年には課長だったよ」「若者は軟弱になった」などと言われ続けます
ただこの人達の不条理な熱量と忍耐強さが高度成長期を支えたのも確かです
『陽が極まれば陰となる』という東洋の『一極二元論』からすれば「不適切にもほどがある」と陽方向に進んだ平成の意識改革は、強者から見れば「適切にもほどがある」という弱者を多く生み出したような気がします
ハラスメントやモラルの変化で『昭和型モーレツ社員』は恐竜のように減っていったのが平成という時代でした
陽に進む分、陰にも進みますから『日本社会は平和で優しくなったけど、強さを失った』といえます
日本人が全体的に『やさしいがひ弱で、理論武装だけは立派』となれば、強い人に反発をおぼえるのも確かです
国会を休んで美容院に行っていた女性大臣からすれば「馬車馬のように働いてもらうとは受け入れられない」となるのは至極自然です
強者の理論からすれば起用されることはもうないでしょう
ただ、国家全体を観ればこれ以上弱体化することは許されず、ハリスでなくトランプをアメリカ国民が選んだように、国民も高市さんという強者に大いに期待していると思います
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました






