時間を得た時にお金なし
コロナウイルスはすべてを不幸にしたとは言い切れません
コロナウイルス蔓延の中でリゾート部門は何度か閉鎖されてました
とある調理師のボヤキでは「この2年間は今までとは比べ物にならないくらい自分時間ができました」
「いいね!こっちはいつものさほど変わらないよ」と言うと
「これを機会にいろいろやろうと思ったんですが、残業代や夜間手当てが減り15万も収入が減ったので使えるお金がありません」
「コロナ前はお金があっても使う時間が無いと思っていたのに、今は逆です」とのこと
庶民は『お金がある時に時間がなく、時間がある時はお金が無い』となりがちです
私も朝4時代の電車に乗り新宿駅に行き、帰りは22時代の時期もありました
「自分の時間が欲しい・・・」とぼやいていた時代です
シニアになると15時や16時に帰る社員もいます
「時間があってうらやましい」と感じたりします
フリーランスになった先輩は「頭を使えば1日3時間の労働にもできる」といいます
中には『お金と時間を両立』させている人もいますが、たいがいの人は両立は難しいようです
全てを満たすのは難しい
かつての上長が役員に昇進したことがあります
「子供が双子で医学部合格というタイミングだったんで金銭的には非常に助かった」
ただ〈社長の言う事にはすべてイエス〉〈朝は4時・夜は深夜まで働くはザラ〉で「精神的自由度は全くない」と言ってました
「子供のころから遊ぶ時間を削って難関大学に入り、会社でも家族を犠牲にして収入は増えたものの『心の自由の貧乏』だ」と言っていたのが耳に残ってます
『心の貧乏』
『お金の貧乏』
『時間の貧乏』
『愛情の貧乏』
『知性の貧乏』
『感性の貧乏』
『健康の貧乏』
『友人の貧乏』
すべてリッチに生きることは難しいようです
お金が無いから命を絶つ人もいれば、お金はあるのに「誰からも愛されていない」で命を絶つ人もいます
今日、打ち合わせをした社長さんは「FIREという言葉ができる前からFIREを考えていたんだけど、実際にリタイアすると『自分には趣味が無い』『家庭に居場所が無い』『会社以外に友人がいない』と気づき虚無感に襲われた」ということから合同会社を設立したそうです
お金・やりたいことの為でなく〈余った時間の消化〉〈仲間創り〉〈自分の存在意義の確認〉の為の会社設立といえます
幸福の定義は難しい
「何が欠乏すれば不幸か」「何は満たされれば幸福か」は考え方次第です
ニーチェは『世の中に真実など存在しない、あるのは解釈だけだ』と言っています
「お金のない不幸・お金のありすぎる不幸」
「名誉を得ると友が減る」
「お金を得ると精神が弱体化する」
「日本人はお金を得るために最も大切な自由時間を削りすぎ」
などと聞いたこともあります
最も難しい学問は『幸福学』というように、幸福の定義は難しいです
無為自然を説く道教では『すべてにおいて中庸を目指すのが良い』とされています
『欠けた部分を見つめるより、恵まれた部分を見つめる方が良い』とも説いています
「お金があるのが幸福か」「自由があるのが幸福か」はその人の解釈次第だと思います
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました