人財育成のビジネス算命学
ビジネスに占術を活用してきた経験から、四柱推命・算命学を中心にどう活用すべきかを書き綴っていきたいと思います  また長年の採用・教育業務・管理職の経験から人生100年時代の新卒の就活、ミドルの転職、シニアの転職、キャリアプランやライフプランを企業側からの目線で情報発信していきます 
人間関係

優生論を考える-旧優生保護法

社会は人を格付けする

中学生の時「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」と教えていた先生が「日本は人口がどんどん増え続けて困っている!勉強できない奴や社会のルールに従えない奴から消される時代になるぞ!」と言われたのを覚えています

令和から昭和をみると本当に「不適切にもほどがある!」時代です

「教師がそんな発言をするなんて大問題だ!」とはならず「そうなったら俺大丈夫かな?」となるのが昭和の時代

令和から見ると昭和はまだまだ社会は未熟です

校内暴力のピークの時代でしたので「規則に従えない奴は社会に出てもろくな社会人にならない」という教師も多かったと思います

中学と言えば今まで平等に扱われてきたのに、これから進む高校によってランク付けされる、平等社会と格付け社会の境目の時です

『平等と格付けの矛盾』に悩む時期でもあります

四半世紀前まであった優生保護法

先日、旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求めている裁判が報道されていました

原告の北三郎さん(仮名)は国には一言でもいいから謝ってほしいと思っていると話していました 

北さんは中学生の頃、素行が悪かったらしく14歳で不妊手術を強要されたそうです

「悪いところがないか医者に行って診断してもらおう」と言われて、目が覚めたら不妊手術をした後で「なんでこんなことをするんだ!」と驚いたそうです

弁論で北さんは「手術を受けたことを妻にも誰にもずっと言えませんでした!手術のせいで私の人生は大きく狂わされました」「と述べています

不良になる遺伝子は排除するということのようです

旧優生保護法とは1948年に制定され、1996年まで施行されていた法律で「つい四半世紀前まで、こんな恐ろしい法律があったのか!」と驚かされます

第一条に「この法律は優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命・健康を保護することを目的とする」と定められています

つまり、障害のある子どもを「不良な子孫」と規定し、社会全体のためには、そうした子どもが産まれてこない方が良いという考え方(優生思想)に基づいた法律だということです

その目的のために、遺伝性の疾患や知的障害、精神障害などがある人に対して、本人の同意がなくても強制的に不妊手術を行うことも認められています

 時代背景として1945年の敗戦以降、外地からの引き上げや出生数の増加によって国内の人口が急増し、食糧不足などの問題が深刻になっていたことがあり人口の抑制が国としての大きな課題だったようです

 そんな中「中絶の合法化」され「比較的優秀な人を残し、知的な障害や身体の障害のある人の遺伝子は排除しよう」という『民族の淘汰』が行われます

令和に生きる人達から見るとビックリする法律です

不良な子孫の出生を防止するという旧優生保護法が施行されます

法律の目的が病気や障害がある子どもが生まれる事を防ぐことだったので、強制不妊手術は基本的に遺伝するおそれのある病気や障害に限られていましたが「遺伝性ではない精神疾患や知的障害がある場合も、本人の同意なく不妊手術ができる」という改正がされます

不妊手術の要件を「子どもへの影響(遺伝)」だけでなく「本人の障害」に拡大するという大きな改正でしたが、国会で深く議論された形跡はないそうです

障害のある人が不妊手術に同意しない場合、身体を縛ったり、麻酔薬を使ったり、だましたりしてもよいとしていたそうで、北さんなども騙されてされて行われた一人です

国の資料では9歳の子どもにまで、不妊手術を行っていたこともわかっています 

「日本人の識字率は世界一」「日本人はIQの高さがトップクラス」などは、もしかしたら誇れるものではないかもしれません

ナチスの優生思想 

1883年、イギリスの科学者フランシス・ゴルトンが「優生学」という劣等な子孫の誕生を抑制し優等な子孫の誕生を促進することにより、国家全体あるいは民族全体の健康を図ろうとする学問を誕生させます

 1895年、ドイツの優生学者アルフレート・プレッツ博士が民族衛生学の基本指針を出版し、ここで民族衛生学という言葉が初めて用いられドイツ優生学の出発点となったています

当時の「力が正義」の帝国主義時代は「人に優劣をつける」「優秀な人間を増やして国家を強くする」のは当たり前だったと思います

従って、生殖や生命を社会的にコントロールし、社会問題を生物学的・医学的に解決しようとする考え方は多くの知識人や若い学生たちを引き付けたようです

欧米では1920年代後半から、劣等な子孫の誕生を抑制し優等な子孫の誕生を促進することにより、国家全体あるいは民族全体の健康を図ろうとする思想(優生思想)が支配的となってきます

1933年ナチス政権下のドイツにおいて、先天性精神薄弱者、精神分裂病患者、躁鬱病患者、遺伝性てんかん患者、遺伝性舞踏病患者、遺伝性全盲者、遺伝性聾唖者、重度の遺伝性身体奇形者、重度のアルコール依存症患者に対する強制断種を可能とする法律(断種法)が制定されます

地域の医師や精神疾患施設の責任者は、断種法の適用候補者をリストアップして当局に提出し、これに基づいて遺伝衛生判定所が候補者を断種するかどうかを決定されたようです

断種が決定されれば、本人の同意が無くても強制的に断種され、この法律により強制断種された人の総数は20万人~35万人と言われています

当時、強制断種政策を実施していた国はドイツだけではなく、アメリカ、カナダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、アイスランド、スイス、オーストラリアで、 日本でも1940年(昭和15年)に遺伝性精神病などの断種手術などを定めた国民優生法が制定されています

「劣性遺伝子は排除して、優生遺伝子を残す」は世界のスタンダードだったようです

第一次世界大戦後のドイツは大不況の中にあった当時のドイツでは、精神障害者や身体障害者は、ヒトラーの主張する「優等民族であるアーリア(ゲルマン)民族」をけがす存在であり「穀潰し」「お荷物」であるとするナチスの宣伝が行き渡っていたようです

ナチス政権はポーランド侵攻の開始とほぼ同じ時期に、障害者を安楽死させる政策に取り掛かり、障害者を安楽死させる為の『帝国委員会』を設置しています

ナチス政権は「強制断種政策」と「障害者安楽死政策」を徹底しています

1938年から1941年までに7万人の障害者が生きるに値しない命として一酸化炭素ガスで殺されています

ナチスはガス殺がお家芸なんでしょうか?

障害者のガス殺は極秘に行なわれましたが、精神病院から立ち昇る死体焼却の煙などにより世間に広く知られるところとなり、ナチス政権はキリスト教会などから激しい非難を浴び、1941年中止の命令を出しています 

私達は人は平等ではないとは理解しています

でも令和に生きる私達は生きる価値のある命とない命を選別するは断固拒否します

この間にあるグレーゾーンは大いに議論して、次の時代の為に知性を磨くべきだと思います

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました

ABOUT ME
ashikaga
採用・教育・研修業務と営業・企画の業務が半々のキャリアでした 支店長・企画課課長・営業部長・採用教育部部長の経験あり 大企業⇒中小企業⇒大企業でキャリアを積みました 算命学は高尾学館を卒業 部下の管理や育成に大いに活かしてきました サラリーマンと個人の事業と投資をしています