「その時どう動く」の決断
戦争やパンデミック、災害や経済危機など苦難はいつの時代にもあります
コロナウイルス蔓延により「現在の世界の経済は未曾有の危機」と叫ばれます
私が社会に出た時も ≪バブル経済の崩壊≫ という危機でした
バブル崩壊初期は「いつ元に戻るのだろう」と楽観視していましたが「これは一時的なものではない」と誰しもが気が付き始めます
「高度成長期は終わり長い低迷の時代に突入した」と誰もが認識をし始めた頃でした
それでも企業は成長・拡大を目指します
危機の時代にリーダーに求められるものは
「その時どう動く」です
営業路線を強化して売り上げを伸ばす
商品開発路線を強化して良い物を作る
縮小均衡は人に夢を与えません
コスト大幅削減やリストラは希望を与えません
社員に活力を与えるのはロマンです
「前に進む」「拡大・成長を目指す」の旗を振らなければなりません
当時の私の会社の社長が決断したのが
「教育に力を入れる」です
「教育?・・・・」
当時の私にはまったく理解できませんでした
個人的には「営業に人をまわし強化すべきだ」と思ってました
商品本部の同期は「今こそ設備投資をして商品力を上げるべき」と熱く語ってました
教育企画部が新設され
教育研修課・教育企画課・インストラクター課が20名以上の体制で設置されます
私は教育企画課で「新卒新入社員の教育担当」になりました
「おいおい こんな時期に金と人をこんなものに割くなよ」という社内の冷たい反応でした
とあるお取引先の専務に言われます
3流はすぐに売り上げを伸ばすことに集中する
2流は商品内容を良くしようとする
1流は人を育てることを第一とする
「君はいいな『人を育てる』という方向を選ぶ経営者の下で」と言われました
しかし ≪The3流≫ の私は腹に落ちたわけではありませんでした
国造りは人創りから
私の支店長としての初陣は新潟県の長岡市
ずっと首都圏で働いていましたが初の地方勤務です
この地は「米百俵の精神」で有名です
明治3年の戊辰戦争に敗れた長岡の人たちの暮らしは ≪その日の食事にも事欠くありさま≫ だったそうです
見兼ねた三根山藩から見舞いとして ≪米百俵≫ が送られてきます
しかし当時同藩大参事をつとめていた小林虎三郎は
「この百俵を元にして学校を建てる」
「戦後の長岡を立て直す一番確かな道だ」と説いたのです
当然 ≪食う米のない≫ 藩士らの猛反発を受けます
「米をわけろ!」
「目の前の飢えた現状を見ろ!」
≪生きるために食べる≫ は動物の最優先の生理的欲求です
怒り狂う藩士たちを 何日も 何度も説得します
小林虎三郎に賛同者はいません
たった独りの戦いです
設立された学校からはその後 ≪人材≫ が陸続と輩出されます
「国造りは人創りから」
教育への投資こそ国造りにとって最も重要な投資であるとの考え方です
大人は飢えてもいいから ≪未来ある若者たち≫ の育成に全てを注ぎ込む
このエピソードは教育企画部をつくった時の自分の会社とダブります
営業に力を入れる ⇒ 売れる ⇒ お金になる
商品開発に力を入れる ⇒ 売れる ⇒ お金になる
そうです「お金になる=食い扶持の確保」に真っ先に目が行くのが私たちでした
3流からみれば ≪食い扶持≫ に直結しない ≪教育≫ など「後回し=結局やらない」ものなのです
未来の人材を創ることが最重要
現在にいかなる犠牲を払ってもいいから「教育に力を入れろ」と叫ぶ人はごく少数います
安宅和人さんも「 シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成」で
「日本は教育費を削りすぎ」
「社会保障費を掛け過ぎ」
「社会保障費を削っていいから教育費を増やせ」
と言います
出口 治明 さんは「還暦からの底力―歴史・人・旅に学ぶ生き方」で
「あらゆる動物社会で『成熟した動物が幼い動物の面倒をみる』はあっても『若い動物が老いた動物の面倒をみる』はない」
と言っています
このような声を上げる人は ≪うざったい奴≫ と思われがちです
シニアは「今まで何十年も働いてきて社会保障費を削れだと!」
ミドルは「俺たちが社会を支えているんだ!俺たちに厚くしろ」
と思うのは至極当然で
「すぐに結果の出ない若者の教育」などは「知ったことではない」が普通の感情だと思います
「国家百年の大計」などは庶民の頭から生まれるものではなく ≪一部の明晰な頭脳≫ からしか生まれない発想だと思います
「現在の窮地を救うのは『教育』だ!」と叫ぶ人は孤独な戦いを強いられる人といえます
古今東西万古不変 ≪真のリーダー≫ とは理解されず 孤独な存在なのかもしれません
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました