社会の柱はミドル層
若者・女性・シニア・非正規社員・外国人・障害者のそれぞれのキャリアについて所感を述べてきました
「人口のボリュームゾーンはミドルだ!なぜミドルにふれない!」
Twitterの友人から来ました
ミドルと言えば30代~50代と幅が広く
大企業で全国転勤の人
地元の企業に勤めた人
自営業の人
結婚して子供がいる人 子供の年齢
結婚してるが子供は作らない人
独身貴族
住宅ローンがロングにある人
親の介護もなさってる人
新卒入社以来ずっと同じ会社に勤めている人
何度も転職を繰り返している人
などなど 年齢幅も広いが 環境も経験もそれぞれでアドバイスが難しいです
若者はすぐ辞めてキャリアが築けなくなる者が多くそれへのアドバイス
女性は長く続いた男尊女卑も終わりますよという流れの変化
シニアは100年時代のキャリアプランの変化について
まあまあ共通点は多い問題かなと感じていましたが ミドルは千差万別過ぎて視点がわかりません
私個人は子供も大学生で皆 出ていったので 孤独を楽しみながら風流人で生きる と思い 前回 前々回書いた内容がミドルへのメッセージのつもりでした
とはいえ同級生のほとんどは子供がまだ小さいです
住宅ローンが定年後まで続く人も多く 長期的にこれからの時代を働く ことを真剣に考えている人が多いです
ポイントが外れるかもしれませんが しばらく「ミドルへのキャリア支援」を述べていきたいと思います
若い世代は「いずれ来る自分のミドル時代」の参考として
シニアの方々は良きアドバイスがございましたら是非よろしくお願いいたします
いまいちな学生時代といきなり左遷された社会人のスタート
「人に歴史あり」簡単に私のプロフィールを紹介します
高校生から実家を出ました
特別進学部が全寮制だったからです 入学時の第一志望は防衛大学 海上自衛隊に入りたかったのです 特進はAとBがあり 低いBでした
その特進も2年生で普通科私立文系Aに落とされます
寮も出されます 親はカンカン
3年次は普通科私立文系Bに落とされます(一応私立文系4クラス・理系3クラスです)
落ちて落ちて落ちまくった高校生時代です 勉強以外は楽しかったです
私立の大学に進み東京へ出ます
バイトでお金を得ると「おお!こんなにお金もらえるんだ!」で稼ぐ味をおぼえます
車も欲しい バイクも欲しい 必死にバイトします 成績がいいわけがありません
就活で大手の面接受けると「『優』が少ないね」と刺されます
当時の面接官は「成績証明書」をよく見ます
バブル崩壊とは言え平成初期はまだ人材不足です なんとか採用されます
ひと言でいえば うだつの上がらない学生時代 です
営業志望で某大手企業に入ります
最初の配属は 採用企画部採用1課 東京採用本部
地方の営業所かと思いきや 本部勤務で親は喜びます 日本の親は本部勤務がお好みなようです
ところが大卒男子166名採用目標に対し 採用数86名 で東京・大阪採用本部26名は全員営業店へ転勤です
最後の社長の一言が「社会人は結果だから!」
26名中 喜んで出たのは私含み3名 あとは落胆してわずか半年で本部を出ます
集団左遷からの社会人スタートです
北関東の中堅クラスの支店に出ます
支店長はベテランです
とはいえ最初から営業に出ている同期とはやはり差があります
4月から部活やってる人間と10月から始めた人間はやはり差があるように 仕事のスキルに目に見えて差があります(大きく感じます)
微差は大差 劣っている方からすると「この差は埋まらないのでは・・・」と焦ります
とにかく行動力だけはありましたから 3ヵ月目くらいからするするっと伸びました
A 考えて行動する人
B 考えずに行動する人
C 考えて行動しない人
D 考えないし行動もしない人
の タイプBが私です
社会人は座学など本当に少なく 行動学習 体験学習がメインです
同期で一番最初にチーフになりました 唯一の光を放った瞬間です
そして大型支店へ転勤 スタッフ間の競争は激しく ギスギスしてましたが 勝手にのびのびやります
4年目に 採用企画部に転勤になります
その後は 採用企画部⇒教育企画部⇒採用企画部⇒教育企画部 を4年繰り返します 採用して教育と研修 の繰り返しです
商品本部や管理本部と違い 営業本部や業務本部は「支店長経験の有無」が重要だったので 自己申告書に「営業に出たい」と書きます
再び営業に出ます
時代は厳しくなり 高度成長期時代の支店長は次々に降職し バブル崩壊後の苦しい時代を生きてきた人間が支店長になっていきます
「ニューリーダーの時代」と呼ばれ よく怒るが人間臭い宴会部長のような支店長は消えていき 緻密な計画で合理的な冷静にファイトする世代に変わっていきます
業績不振の支店の支店長2名が降職処分となり 私ともう一人の同期が支店長になります
誰かが落ちなきゃポストはない・・・ という冷えた時代です
私は新潟県 もう一人は秋田県 冬が厳しいが業績は一年中厳しい場所です
無事に立て直すと 新規OPENの支店へ
大企業は人材はいくらでもいるので ちゃんと若手の有能な2名がサポート役でつきます
その後は 営業企画部の課長として3度目の本部
早期希望退職者を募った時 引っかからず「誰か営業支店にでたいやつ」の声に手を上げ 3度目の現場最前線へ
今度は大型支店
人材は揃っているが予算は高い やれば翌年はさらに上がり 4年もすると万策尽きて「もう限界かな」という感じだが 会社はまだまだ続投の気配
そんな折 かつての上司の営業部長がコンサルタントになり独立しており
「手が足りないから手伝ってくれないか」と言われ 23年間勤務した会社を去ることに
「これでもう転勤はない」「定住生活ができる」
と思ったのもつかの間 コンサルタントとして入っていた新興企業の社長に口説かれ わずか6支店しかない会社へ転職
個人的にコンサルタントと呼ばれる人種が好きではなかったので 再び現場へ
コンサルタント歴10ヵ月・・・だから履歴書にも書きません
支店長⇒営業課長⇒兼任で採用教育課課長⇒兼任で営業部長 また元のカタチに戻りました
違うのは 営業しながら 新卒採用して 研修もしてることです さすがは中小企業
人材がいません
「大企業 中小企業 どちらが楽しいですか」と聞かれれば 「間違いなく中小企業です!」と答えます
自分の存在感が全然大きいからです 大手は代わりがいくらでもいるくらい人材の層が厚いです
「大企業 中小企業 どちらに最初入社すべきでしょうか?」と聞かれれば 「間違いなく大企業です!」と答えます
教育体系がしっかりしているからです 競争も長い目で見れば自己成長につながります
人生ゲームになぞる
母の具合が悪いので「静岡帰るように」強く言われます
採用教育マネージャーの仕事に就きます 迷わず「転勤はなし」を選択
1100社の集合体の会社で3万3千人の社員がいます 意外にデカい会社に雇っていただけました
引っ越してきた翌日 母に旅立たれます
孝行したいときに親はなし!
ミドルの皆さんは皆 それぞれ歴史があり ドラマがあり 語らうと非常に楽しいです
ちょうど人生ゲームの最も盛り上がってるところのようです
日本経済が下降し始めた時に社会に出て
昭和の人に教えられ
教え込まれた価値観はどんどん風化し
過去を楽しみながら 未来は不安視し
根が真面目な 明るく 正しく 厳しく 生きている人が多いです
すみません 自分のプロフィールで終わってしまいました
ということで次回からミドルのキャリアを述べていきたいと思います
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました