苦しみを解決したい
世の中の企業は「お困りごとの解決」「より便利に快適に」「快楽を提案して幸福度を上げる」などの活動で、その対価を消費者から得ています
私達は『世の中を良くするために働いている』と同時に『幸福になる為に対価を払っている』社会的動物といえます
人には陽転と陰転がありますが「世の中は多くの人のお陰様でどんどん良くなっている」と陽に見るか、マイナス面ばかり目をやり不平不満を蓄積していくかで、社会が陽にも陰にも変化していきます
ニーチェは『世の中に真実などない!あるのは解釈の違いだけだ!』と述べていますが、解釈の仕方やものの見方で幸福や不幸が決まってくる気がします
人は勉強する為でも働くために生まれてきたわけではなく『幸福になる為に生まれてきた』のであり、幸福になる為には知識が必要で勉強し、幸福になる為にはお金が必要で労働して給料を得ています
日本人は無宗教などと言われながら『身の丈の苦しみを解決してくれるお釈迦様の思想』が根底にあるような気がします
煩悩を消せば苦も消える
釈迦はインド北部で小国を治めていた釈迦族の王子で、何不自由なく生活していましたが、ある日に城外へ出て病に苦しむ人、よぼよぼの老人、葬儀の死体などを見て衝撃を受けます
「人間は誰でも最後にはこうなるのか!」を知ったブッタは「自分も老い、病になり、死ぬのか」と悩みはじめ『老病死の苦しみの克服』がライフワークになり、29歳の時に城を出て修行に励みます
ブッタは
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される」
「もしも汚れた心で話したり行ったりするのならば、苦しみはその人に付き従う」
と述べています
「すべての苦しみの原因は一見、自分の外にあるように見えて、実は自分の煩悩額の原因である」とわかり『煩悩を消せば苦も消える』とブッタは考えます
死が怖いのは心の中に「死が怖い」という煩悩があるからだ⇒「避けられない死を受け入れよう」と心が変われば煩悩は消えるということです
ブッタは四諦(したい)を考えます
① 苦諦(くたい)⇒ 生老病死の苦しみや、望むものが手に入らない苦しみなど、 人生には苦しみが存在する
②集諦(しゅうたい)⇒ 苦しみの原因は「渇愛(かつあい)」すなわち執着や欲望にあり、物事や感情への執着が苦しみを生む
③滅諦(めったい) ⇒苦しみを終わらせることが可能で、執着からの解放を意味します
④道諦(どうたい) –⇒苦しみを終わらせる方法は、正しい理解、思考、言葉、行い、生計、努力、念、禅の八つの実践から構成される 「八正道」である
八正道とは煩悩を消滅させる八つの道のことで
①正見・・・正しいものの見方で物事を見る
②正思惟・・正しい考え方を持つこと
③正語・・・正しい言葉遣いをすること
④正業・・・正しい行いをすること
⑤正命・・・正しい生活を送ること
⑥正精進・・正しい道に向かって正しい努力をすること
⑦正念・・・正しい意思・信念を持つこと
⑧正定・・・正見や正念という正しいものの見方、正しい信念を胸に、正しい座禅を行うこと
つまり煩悩消滅には、正しいものの見方をして、正しく考え、正しく言葉を使い、正しい行いをし、正しい生活をし、正しい努力をし、正しく自覚し、正しく瞑想するということです
無明と執着が苦しみの原因
ブッタの教えは宗教臭さはなく、八正道などは自然と親から子へ受け継がれている気がします
宗教というより人間哲学に分類してもいいのではと思ってしまいます
「モノゴトには原因と結果という因果関係があり、ロジカルに苦しみの因果関係を考えたのがブッタの教えといえそうです
「煩悩は無明が生み出している」と述べています
無明とは単なる知識不足ではなく『モノゴトの道理を正しく合理的に考える力が欠如していること』で「無明こそ最大の汚れ」と言います
道理がわからないと汚れた心のままで煩悩にとらわれ、苦しむことになります
知性を磨ける仲間や職場は本当に有り難いですね
煩悩のもう一つの原因が『執着』で、財産・贅沢・権力・美しさなどに執着することで、欲望は満たされると必ず肥大化します
ブッタは「自分のものは何一つない」と考え執着を減らすべきだと述べています
西洋哲学が自分中心思想なのに対し、自分のものは何もないという真逆なのが仏教思想です
日々の仕事に追われる中で「たまにブッタの教えを深堀してみる」のもお勧めです
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました