労働力不足でも仕事のない人はいる
「新しい資本主義の実現」などと言いながら、どんどん社会主義化しているように見えます
給料は伸びない分、失業率が低いのが日本の社会民主主義の良いところかもしれません
給料が伸びない分、失業率は低く格差も少ない方だといいます
若い頃「同期入社でも一番上と下ではボーナスが150万円以上違うってすごい会社だな」というと先輩社員に「欧米はこんなもんじゃないぞ!日本は本当に格差が緩い」と言われました
とある観光地に当社のリゾート施設が2つありますが、観光ルートから外れたところにバラック群があります
昔からこの地に住んでいるSさんという古参社員に聞くと「昭和の頃は大きな工場があったんだけど①仕事の機械化②海外への移転などで仕事が激減したことにより、あのような住居群が増えていった」と言います
「観光の街としてこれだけ栄えて、人手不足なのだからサービス業で働けばいいのに?」というと
「彼らは対面の仕事は望まないんです!2次産業の合理化で彼らの仕事は大きく減った」と言います
日本は労働力不足ですが、仕事に就けずに困窮している人がいます
「求人は多くあれど、俺の仕事は消滅した」という人が多いということです
「なぜ生活保護を受けないんですか?」と聞くと
「①生活保護を知らない②書類が書けないか面倒だから」が8割と言います
Sさんの友人がボランティアでアドバイスして回ったそうですが、とにかく手続きを毛嫌いするそうです
資本主義と民主主義の矛盾を昇華する
大学の経済学や経営学の授業では「日本の2次産業は機械化を進め、人員の1/3をカットでき合理化が欧米と同じレベルで進んでいる!問題なのはサービス業だ!機械化が遅れ人を使いすぎ」と給料が伸びない要因のように解説していると思います
商工会議所の知人は「製造業が吐き出した労働者をサービス業が吸収してくれて有難い」と言います
資本主義的視点では製造業の判断は正しく
民主主義の視点ではサービス業は雇用を受け入れてくれるありがたい存在となります
建設業界の友人も「便利な機械や仕組みの効率化で雇えなくなった日雇い労働の人たちがいる」と言います
「仕組みを作った頭のいい連中は彼らのことを理解してないんだろうな」と深刻に語ります
パン屋とパン工場を経営している私の親戚がいます
店舗販売と学校給食用にパンを製造してますが、先代社長もその息子の新社長も障害者や社会から脱落してしまった若者を積極的に工場で雇っていました
先代社長も若社長も市の青年団の活動にも熱心で「会社組織のような働き方が出来ないものはぎょうさんおる!それらは俺が面倒みる!」と2人とも同じことを口にしていました
先代は亡くなり、若社長も病気で働けなくなり、東京に就職していた娘さんが後を継ぎます
「古くて効率の悪い仕組みを新しくし、無駄を省き利益も伸ばし、従業員の給料も伸ばした」と祭りの日に立ち寄ると自信ありげに語っていました
資本主義の視点で見れば、合理化して利益を上げ給料も増やした極めて正しい経営者です
青年団の人たちは「どこも引き受けてくれなかった社員を受け入れてくれて有難いと思っていたが、彼女になったら全部辞めてしまった」と嫌悪感に満ちた顔をしていました
民主主義の視点で見れば「発展の為に見捨てられた者たちがいる」となります
資本主義は競争の原理で発展・成長を目指しますが、敗者と格差を生みます
民主主義は誰も置き去りにしない社会をつくりますが、発展・成長を鈍らせる性質があります
社会主義の延長上に共産主義があるので、この2つには矛盾が少ないです
資本主義と民主主義の双方を組み入れた社会を生きる私たちは、この2つの主義の矛盾という十字架を背負わなければならないと思います
誰も置き去りにしない社長
鳥取県の石見銀山の麓に中村ブレイスという耳や腕など偽肢装具の会社があります
坂本光司さんの本の中でも「日本で一番辺鄙な場所にある会社」と紹介されています
その辺鄙な場所にありながら入社希望の若者が絶えない会社です
米国帰りの中村さんが過疎化の進む故郷でたった一人で創業した会社ですが、最初に雇った社員は出社拒否ばかりだったそうです
知人から「どこも就職させてくれない子がいるから力になってくれないか」「彼の両親はとてもまじめな人で、子供の先を案じている・・・何とかこの子を引き取ってほしい」と頼んできたのが始まりです
体力がないのか集中力がないのか、1時間も働くと「疲れた」と帰ってしまうという日々が続きます
「自分だって食うや食わずなのだから辞めてもらったらどうか・・・」と言われたそうですが「自分の使命を果たすためだ」と中村さんは雇い続けます
8時から17時の勤務なのですが、ある時は8時に来て10時に帰ってしまう
1週間出てこない日もある
1週間後に体力がつくとまた出て来て10時半までいるが、次の日は休む
その次の日は11時まで働くことが出来た
そんな調子で17時まで働くことが出来るまで7年半かかったそうです
私のような三流の長では「もう辞めてくれ」とどこかで口に出します
「なぜ7年半も待ったんですか?」と聞かれた中村さんは「あの子はあの子なりに努力していたから」「あの子を自立させたのが我が社の原点」と語ったそうです
実はその若者は「自分の状態を何とかしよう!」と家で寝ながら医療・福祉・介護に関する専門書をかなり読み込み、結果的に中村さんもかなわないほど深い専門知識を身につけたそうです
彼は働けるようになるとバイクで医療・介護の見本市によく行き「こういうものがあった!ああいうものがあった!でもこの商品はダメだからこうした方がいい!」と中村さんに報告するようになります
中村ブレイスの主力商品には彼のアイディアによるものが多くあるそうです
「誰も置き去りにしない社会」とは中村さんのような人でないと作れないと思います
社会が進歩すれば置き去りにされる人は増えてきますから、それを受け止めてくれる人が必ず必要になってきます
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました