誰かに支えられて生きている
人は古来より集団で行動し、やがて社会を形成するようになりました
「人」という字は支え合っているカタチ・・・・ではなく
大地にしっかり二本の脚を置き踏ん張って立っている姿を表しているそうです
とはいえ「他者の支えが無ければ生きていけない社会的動物」なのは間違いがありません
おぎゃ~と生まれてから今日まで一人で生きてきたという人はいないでしょう
「個人の能力・頭脳・体力」が勝るより「周りに支えてくれる人が多くいる」方が幸福だそうです
石器時代と違い、現代は群れに属さぬとも生きてはいけますが間接的に『誰かのお陰』という部分は必ずあります
ごくまれに山奥で一切の文明の利器に頼らず一人で生活している人がいるかもしれませんが、赤ちゃんの時から独りで生活していたわけではありません
(たぶん)道教から発生した考え方だとは思いますが『人を支える4方向』について考えてみたいと思います
自分を支える4方向を見つめ直す
縦方向は上下関係で、北は目上の場所・南は目下の場所
横方向は対等の関係で、東は同僚の場所・西は補佐役の場所
と見ます
北=目上の場所
親・先生・指導者上司・先輩・神様
東=同格者の場所
兄弟・友人・同僚・同級生
西=補佐役の場所
配偶者・秘書兄弟・サポート役
南=目下の場所
子供・孫部下・後輩
子供時代は圧倒的に北=目上が多いです
親はとにかく食事を与え、肉体を作ってくれるなくてはならない存在です
自分に知恵を授けてくれる人、指導して能力を伸ばしてくれる人がここに位置します
親も亡くなり、会社でも自分を指導する人がいなくなる・・・いわゆるてっぺんに到達して目上がいなくなったら『良書を読む』などを必ず行い、北側のエネルギーを補充するべきと言います
読書家は『北方のエネルギーに満ちた人』と言えそうです
逆の南=目下は年を重ねれば増えてきます
「上には受けがいいが下には嫌われてる」などは南方のエネルギーが不足していると言えそうです
目下へは『心服』=心から敬服されることが最も理想で「この人の為なら」という部下が多い人や「お父さん大好き」と子供に想われていれば南方のエネルギーに満ちた人といえます
南方のエネルギーに欠けた人は〈上から目線〉〈説教〉〈自慢話〉の多い人が目につきます
東=同僚は同格の存在で、兄弟や友人、学校の同級生、会社の同期入社を表します
東という字は、日が昇り始め木からその光が漏れている姿「木」と「日」を組み合わせた文字で、物事のスタートや学校・会社などの活躍の場所を意味します
兄弟がいなくとも兄弟のように仲の良い友人がいればいいようです
兄弟仲がいい人は社会で活躍できるといいます
友人は一緒に遊んだり語り合ったりもしますが、時に競い合いお互いを高める存在にもなります
兄弟が多い・友人が多いではなく、その質の高さが大切のようです
西=補佐役は配偶者や秘書(みたいな役の人)など自分をサポートし支えてくれる〈特別な存在〉と言えます
友人・同僚に比べ、ここは一人か二人です
サポート役の有無やサポート力でここのエネルギーは決まります
「誰にも自分の心を見せない人」はここのエネルギーが弱くなります
この4方向に支えられて人は活躍ができます
もちろん人により偏りがあります
目上=親が愛情深く立派・優れた指導者に鍛えられた・上司に恵まれた
目下=良き部下に恵まれ慕われた・子供との仲が良い
同僚=良き友人・良きライバルがいる・兄弟仲が良好
補佐役=配偶者に恵まれた・素晴らしいサポート役がいる
あまり意識したことはないかもしれませんが、時に見つめ直し「感謝」と「敬愛」の念を持つことも大切だと思います
お葬式の幕は白黒の意味
自分は中央で他者を東西南北に置き換える東洋の『五行説』は面白いです
日が昇り沈む東西は『現実』を表し、南北は『精神』を表します
東は日が昇るスタートの場所で『現実のスタート』若さを表します
東の色は『青』なので「青春」や「まだ青い奴」などの言葉がここから生まれます
西は『日が沈む場所』=西方浄土なので「安堵できる場所=家庭」などを指します
東の人物は「自分を活動的にしてくれる存在」
西の人物は「自分に安らぎを与えてくれる存在」でなければなりません
西の色は『白』で終わりを意味しますので「白旗をあげて降伏」などに使われたりします
南は『精神のスタート』で幼さを表します
南の色は『赤』で「赤ちゃん」生まれ変わりを意味する還暦は『赤を身にまとう』などで風習が残ります
現実的に「そんなことも出来ない・知らないのか」を青恥
精神的に「いい年して未熟すぎる」は赤恥と言うそうです
北は『精神の高み・終わり』を表します
北の色は『黒』でお葬式に使われる白黒の色は「精神と肉体の終わり=北と西の色」からきています
東洋の知恵も西洋に負けず劣らず面白いです
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