時代による退職理由の変化
昭和の時代はまだ武士道精神が残っていたのか、昭和入社の方々は「一つの組織に忠誠を誓い奉公する」という感じの年配社員が多くいました
私の上長でも「俺はこの会社が大好きだ!」とハッキリ言ってました
業績が悪い時は上から詰められ、家庭の事情を人事に伝えてあるのに遠方に転勤になり、下の自分から見ていても「辛そう」と感じましたが、本当に会社を愛していたように思います
昭和入社はまさに『一所懸命』『滅私奉公』の精神の人が多かったです
平成入社の私などは日本では「新人類」と呼ばれ、世界基準では「X世代」という「数学の答えのわからないX」「宇宙からの物体X」などのXで「今までの社員と違う思考・行動をする」「理解に苦しむ若者」という見方をされます
新卒の採用活動が始った時、40代の営業課長に「企画やりたいとか、マーケティングやりたいとか、仕事はクリエイティブでなきゃヤダ見たいな奴はいらないぞ!俺なんか『売れと言われればパンツでも何でも売ります!』と言って社会に出たんだ!」と言われたのを記憶しています
正直世代間ギャップを感じました
マズローの法則でみる退職動機の変化
昭和世代は当然、終身雇用&年功序列が摺り込まれて社会に出てますので「他社に移る」などと言う人は「裏切者!」のような目で見ます
昭和に社会に出た親は「いい大学出て大企業に行って出世しろ」いわゆる『寄らば大樹の陰』が理想だったと思います
平成という間に価値観は大きく変わり続けます
「自己成長できない会社はダメだ」
「社会貢献できてない会社はいる価値がない」
という若者が増えていきます
企業は社会変化に敏感ですから、変化に対応するため商品・売り方・福利厚生・採り方・教育などを変化させていきます
「そんな理屈っぽ奴はいらない」「腰の軽い軟弱な若者はいらない」などと言っていれば若者はいなくなります
時代により退職理由も変わっていきます
また同じ人間でも在籍期間により退職理由が変わっていきます
『マズローの欲求五段階説』というものがありますが、無職の食えなくなる状態の時は「何としてでも職につき食うに困らない状況にせねば」という『生存欲求・生理的欲求』が働きます
「食わないと死んでしまう ⇒ お金を得なければ ⇒ 職につかなければ」というのはもっとも基本的欲求です
職を得れば「これで食っていける」と安堵します
「生きる為に職を得る」がずっと続くかといえばそうでもありません
行きつく先は自己実現できるか否か
給料を得て食べれるようになると『安全の欲求』にうつります
やはり会社が安定しているかどうかや、自分を害する人間関係やハラスメントがないかなどを気にし始めます
退職動機で最も多いのは人間関係で、精神を害する人間関係からは逃げるのは当然です
安全が確保されると『社会的欲求』にうつります
会社の知名度や社会貢献度などの「世間の目」や、そんな中で自分はこんな仕事をしているなどを気にし始めます
昭和のあるあるで、マイホームとマイカーをバックに家族と映っている写真を自分の机に飾る中高年の社員もいました
「俺は家も建てて、車も買って、子供も2人もうけたぞ」という自己満足写真です
車もカローラから「係長になったからカリーナ」「課長になったからマークツー」「部長になったからクラウン」など『所有する自動車はステータスシンボル』になっていたのが昭和の時代です
花形部署など言いますが『意味のない仕事などはなく、その仕事は意味がないという考え方があるだけ』です
つぎに『承認欲求』がきます
「会社や仲間に必要とされているか」
「組織の役に立っているか」
などで、昔の手柄話をいつまでも話す人がいますが、正直にいえば会社は過ぎてしまった過去の実績などはどうでもよく、刮目しているのは『今現在と未来』です
「必要とされていないと感じる」は意外に退職に直結します
降職や役職定年になったりすると「今辞めるの?!」という大事な年齢でも退職したりします
最後にくるのが『自己実現の欲求』で、これが満たされないと仕事は楽しくなく苦役になります
人によって様々ですが、出世や目標の達成、やりたい仕事ができてるなど『自分が望んだ人生を歩んでいる』という夢のようなものです
「仕事が見つかった!よかった!」と言ってた人が「あそこでは夢が実現できない」などと退職になったりします
「仕事は生きる為にするもの」だけではないようです
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました