できない理由よりできる方法を考え続けた猪木さん
もう亡くなって2週間以上経ちましたが、いまだに多くの方がSNSでアントニオ猪木さんを語っています
語っているメインは昭和生まれになりますが、多大なる影響を与えた人ですね
プロレス界を牽引し発展させたのも事実ですが引っ掻き回した時もありますし、アントンハイセル事業の失敗でとてつもない借金をつくったり、私生活では4度も結婚をしています
にもかかわらずなぜここまで多くの人を魅了したかと言えば、猪木さんの生き方がアラビアの
何かをしたいものは
手段を見つけ
何もしたくないものは
言い訳を見つける
ということわざにある通り、いかなる困難も『常にできる方法を考えて行動し続けている』ことが『やれない理由・できない言い訳ばかり考えてしまう』私達凡人には神のように見えたのだと思います
子供の頃は相撲は3人がかりでもかなわないほど強かったようですが、あとはさして凄い才能があるわけではなかったようです
イラクに人質をとられた時も、あたふたしているだけの日本政府が『小田原評定=いつまでたっても結論の出ない会議・相談』にうつったと思います
「ぐだぐだ話し合っていても解決しない!」ですぐ行動に移すその性格が多くの人を引き付けるのだと思います
「どうしよう・・・どうしたらいいんだ」と無駄な会議を繰り返す国のTOP
「なにやってんだ!なんとかしろ」と批判するだけの国民
その膠着状態の中でさっそうと行動を起こす姿はやはりカッコいいです
人材がいないならつくればいい
猪木さんが新日本プロレスを立ち上げたとほぼ同時に、馬場さんも全日本プロレスを立ち上げます
馬場さんはその温厚な人柄と約束を守る信用力はずば抜けていますから、米国団体と太いパイプを築き主要選手の多くは全日本プロレスと契約をしてしまいます
とにかく全日本プロレスには毎シリーズ素晴らしい顔ぶれの外国人レスラーが来日します
米国人レスラーは「プロレス後進国日本でケガなどしたら本国での試合に悪影響」と考えてますから過激でケガの確立が高く、いきなりシュートマッチになることも多く、ブック破りも多い新日本プロレスは避けられます
ただ『腕っぷしには自信があるがネームバリューはない』外国人レスラーは日本で一旗揚げようと新日本プロレスに参加してきます
新日本プロレスは『有名レスラーが来なけりゃ育てればいい』という姿勢になっていきます
TJシン・Sハンセン・Hホーガン・BBベーダーやロシアのアマレス軍団など多くの無名の強豪をスターレスラーに育て上げています
経営はライバルである他社との差別化ですから、NWA・AWAチャンピオンや人気外国人を多く呼べる全日本プロレスに対して『ジャイアント馬場が絶対にできないこと』で異種格闘技戦を行います
年間200試合以上をこなすプロレスは「ショーだ」と世間からは冷ややかに見られだした頃ですから「レスラーは本当はこんなに強い」というのをあらゆる格闘技の強者と戦い証明しなければならないという部分をあったと思います
今でこそ異なる格闘技同士の試合は頻繁に行われるようになりましたが、この危険な賭けは当時は猪木さんしかしませんでした
安全で年をとっても長く勤務できる全日本プロレスの方が務める方としては優良企業ですが、全日本のレスラーが「全日本の選手は満足しているが納得はしていない、新日本のレスラーは満足していないが納得している」と語っていました
それでも厳しく選手生命も危うい新日本の方に入門希望者の若者が殺到し、レスラーの質も量も圧倒的に新日本の方が優ってきます
「最強の格闘技である!いつなんどき、誰の挑戦でも受ける!」が多くの強くなりたい若者を引き付けたと言えます
多くの人材を作り出す力が新日本プロレスの最も評価すべき点だと思います
綺羅星のごとくスター外国人レスラーを揃えてる全日本より、テレビ視聴率でも観客動員率でも新日本の方が圧倒的に優位に立っていきます
「しょぼい外国人しか呼べないから勝てないよね・・・」などと言っていたら、しょぼい団体になっていたでしょう
人材育成力は大したもの
全日本プロレスの会場に行くと暖かいファンの空気に満ち溢れてます
「がんばれ」「いつまでも続けろよ」とファミリー的な雰囲気でした
対して新日本はヤジもきつく、大きな暴動事件も何度か起こして大阪城ホールや両国国技館が使用停止になったこともあります
異常な熱量の新日本プロレスは猪木さんの過激な闘争の遺伝子により多くのスターレスラーを輩出していきます
闘争心が強く自我も強い猪木さんの弟子たちは次々に独立していきます
前田・佐山・藤原・高田・木戸・山崎・船木は「格闘技としてのプロレス」をしたいとUWFをつくり
長州・斎藤・Kカーン・谷津・浜口・小林など多くの選手は全日本に移籍してしまいます
ごっそり選手が抜けた新日本プロレスは再び武藤・蝶野・橋本・ライガーなどの一流選手を育成します
「ゴミ掃除ができた!」と強がり見事に第三世代を育て上げるこの人材育成力は大したものです
TOPレスラーに育つと抜けて、また育てるが新日本の歴史です
世界の強豪と異種格闘技戦をしてきた猪木さんですが37歳の時の極真空手のウイリーウイリアムス戦で一旦、格闘技戦に終止符を打ちます
30代後半は一種の限界地点で、PRIDEで活躍していたプロレスラーの桜庭選手も36歳辺りから負けるようになりました
この辺りから『最強の格闘家猪木』としては終りをむかえ、猪木25周年を記念したレオンスピンクス選では現役でないボクサーのスピンクスと非常にしょっぱい試合をします
同じ日にマーシャルアーツのドン・ナカヤ・ニールセンと前田日明の試合が素晴らしく、初の東京ドーム興業でソ連の柔道家のショータチョチョシビリに猪木さんはノックアウト負けをします
同じ年に前田選手は柔道家のウィルヘルムに快勝し『新格闘王』と呼ばれるようになり「最強の格闘家としてのプロレスラーは前田」となっていきます
実際これらの試合は会場で観戦しましたが、すでに「格闘家として強い猪木」ではなくなっていました
ストロングスタイルとしてのプロレスも「長州力か・・・藤波辰爾か・・」とファンの目は移っていきます
ジャイアント馬場さんのファンは最後まで変わらず馬場ファンでしたが、猪木さんのファンはアントニオ猪木の衰えと共に離れていきます
猪木さんの最強の格闘技としての遺伝子は、前田・高田に引き継がれ
気迫のプロレスの遺伝子は長州に引き継がれ
受けの美学による相手を光らせる遺伝子は藤波に引き継がれていきます
新日本プロレスの道場では猪木さんの車がきた音を聞くと皆震え上がったと言い、気を抜いた練習をしていると怒りまくる猪木さんですが、付き人の若手がへまをしても怒らず温厚だったようです
「自分が付き人時代散々嫌な目にあってますからね、練習以外は温厚だった」と言われ「若手を理不尽に怒ったことはない」そうです
07年10月に猪木さんの愛弟子の安田忠夫さんが自宅で練炭自殺をし、なんとか一命をとりとめますが、その安田さんに猪木さんが贈った言葉が
花が咲こうと咲くまいと
生きてることが花なんだ
でした
「生き地獄のような人生を歩んでいよいうとも、生きていることが花であり、生まれてきたことが花なんだ」
多くの名言を残している猪木さんですが、この弟子に対する愛着にあふれた言葉が個人的には一番好きです
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました