最初入社した会社では企業の教育は 考え方 やり方 知識 に分けていました
この3つのカテゴリーで最も難しいのが 考え方 だと思います
社会的に正しい考え かつ その企業活動に不都合でないもの
この二つの輪の重なり合う点が教えるべき考え方になります
売り上げにブレーキがかかる考え方
社員が自社の社会活動に誇りを持てなくなる考え方
このような不都合な真実は排除されます
道徳が核となっている学校の教育者と違い企業内教育は利益追求が核となります
まっすぐな姿勢で教育できる学校教育と違い企業内教育は「それを口に出してはいけない」「その考えは伏せないと」など【誠】が追及できづらいところがあります
そこが教育担当者の葛藤にも直結します
学校教育を天の教育というのであれば、企業教育は現実世界で泥まみれになって生み出される地の教育と言えるのではないでしょうか
バブル経済が崩壊し多くの企業が売上高を伸ばすのに苦労した時代がありました
私のいた会社も支店は増えず、売り上げ伸びずの時代でした
「1も2もなく売り上げを伸ばさないと!会社が存続できなくなる」
このような時代は【誠】からは距離が離れた教育が展開されやすいのです
私が振り返って当時の教育を 強育とか狭育とか呼ぶのはその為です
そのような状況へシフトしていることを危惧してかどうかはわかりませんが、当時の社長が
売上作りに慢心させること と 一人の人間としてりっぱになること
この二つを昇華=【高い次元で融合させる】のが教育部に望むもの
と業務本部会議で発言したのをおぼえています
世界的投資家のジムロジャースは社会人になってから学ぶべきものは
歴史は特に近代史を我々は大雑把にしか教わっていません
隣国の中国の近代史、韓国の近代史、そして祖国日本の近代史・・・
そして「考え方」は哲学を学びベースにすること
考え方が核となり人の人生も組織の方向性も大きく変わります
私たちミドルは長く社会で戦ってきました スキルも知識も実績も大なり小なりあると思います
天の教えと地の教訓 この矛盾すべき点に自分なりの答えを出し昇華させるべき時なのかな・・・と最近考えます
天の教えだけでは現実世界だけでは脆弱です
地の教訓だけではダーティーな思考になりかねません
自分の子供たちに・・・社の若者に・・・堂々と語ることのできる自分の哲学がなければいけないな・・と最近つくづく考えます