ザビエルは日本での布教に疲労困憊だった
日本は宗教観が薄いと言われがちですが、キリスト教やイスラム教のように唯一絶対の一つの神様を信仰していないせいだと思います
八百万の神(やおよろずのかみ)というくらいですから、当時の人口の百万人より多くの神様が存在していたことになります
海、山、川、滝、池、湖、木、空、岩、田、動物や 自然現象の雷、雨、風、台風、雪、地震、火山噴火などそれぞれの神様がいて、自然からの恵みに対して感謝していたのが古代の日本です
そこへ大陸から仏教が入ってきます
「同じ宗教を信仰しているとアピールすれば、大陸から侵攻されない」で日本発の国際都市平城京には多くの寺院が建立されます
また「我々が今あるのは先祖のお陰」という意識の高い日本人は「お墓は先祖の家=陰宅」「先祖の魂はお墓や仏壇にある」という仏教の考えを非常に有り難がりました
仏教はインドのヒンドゥー教のカースト制度にある「生まれながらに身分は決まっている」に疑問と反発を抱き『しっかりした考え方をもっている人間が格の高い人間として評価されるべき』という思想でつくられたものです
従って「勉強する」「修業をする」ことにより人の格は上がっていくという姿勢でしたから、寺での住職の説法を皆有難がって聞いていました
「1人の超人的な神様の教えをありのままに受け止めよ」という宗教とは全く違い「立派な考えをどんどん取り入れ、自分の格を上げていきなさい」というのが仏教の信仰のスタイルです
キリスト教の布教活動できたザビエルも、説法によりしっかりした思考法が身についていた日本人に質問攻めにあい大いに苦戦したそうです
本国に「日本人は他のアジアの国とは大きく違い非常に賢いので、しっかりした学業を身につけ、哲学にも長けた人物でないと布教活動ができない」と報告していたそうです
ヨーロッパや中東地域の宗教と違い、仏教は哲学だったようです
1流2流3流の差
福厳寺住職の大愚元勝さんは 「褒められたときの態度で1流か2流か3流かがわかる」と述べています
人としてのセンスの良し悪しがもっとも出るのは褒められたときだそうです
誰かに褒められたとき、その褒めをどう受け止めどう返すかによって、その後の伸びに違いが出てくると語っています
「人生は小さなことの積み重ね」「人間関係は小さなやり取りの積み重ね」なのです
褒められたとき
三流は「俺はすごい」と舞い上がってしまい、調子に乗る
二流は謙遜しながら逆に意識してしまい力む
褒められたときに「いえいえ」と謙遜するのは褒めたほうからすれば、せっかく心動かされて褒めたのに「いえいえ」と否定されてしまい少し残念な気がしてしまう行為だそうです
普段褒められ慣れていない人が急に褒められると、どうしていいか分からずに、褒め言葉を素直に受け取れないでつい「いえいえ、私なんか・・・」と言ってしい、褒められたことで変に意識してしまい、力んでしまったりする
一流は褒められると素直に受け入れ、良いところをさらに伸ばそうと努力する
褒め言葉に対して「ありがとうございます」と素直に受け止め、そこに嫌味も驕りも全く感じさせず、人の好意や褒め言葉を素直に受け取ることができ、自分の強みを更に伸ばしてゆくことができると述べています
ブッダは「言われやすい人になりなさい」と説いてた
一流の人は自分自身が捉えている自分像と、他人から評価されている自分像を常に客観的に見て、調整することに長けているそうです
ブッダは弟子たちに「言われやすい人になりなさい」と説いたそうですが、まさに一流は叱られやすいし褒められやすい人で、どんどん注意され、どんどん褒められ、そこにいちいち引っ掛かりがないからどんどん伸びていくようです
仏教とは、超人的な神や仏に縋って生きる教えではなく「たゆまぬ自己研鑽によって苦を手放し、明るく生きよ」と説く努力の教えだそうです
ブッダが示した、努力の方向性と具体的な方法は
①今やっている、これまでやってきた「悪しきことをやめる」努力
②これから先さまざまな誘惑があっても「悪しきことはしない」努力
③今持っている、成している「善きことをさらに伸ばす」努力
④今までやったことのない「善きことに挑戦していく」努力
の4つです
たしかに「一人の超人的な神を疑問をもたずに強く信じる」という信仰姿勢は日本人には希薄ですが、日本には日本なりの信仰のスタイルがあると思います
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました