幸福とは
「あなたは幸福ですか?」と聞かれても、幸福の基準があいまいで答えにくく、気分でもだいぶ違います
ただ、過去を振り返ると「あの時期は受験に失敗して暗かったな」とか「社長賞をもらうほど成績好調で輝いてたな」などはあります
同じことを経験しても「最悪な経験をした!」と記憶する人もいれば「あの経験で一つ賢くなった」と苦労を糧にする人もいます
いわゆる欠けた部分に目をやる『谷の人=俗人』か恵まれている部分に目をやる『山の人=仙人』下の違いです
大きく分けて幸福には3種類あって
成功したり、美味しいものを食べたり、快楽から発生する幸福をドーパミン的幸福とよびますが、これはすぐに消えてしまい、また新たなドーパミン的幸福を得ようとします
人に親切にしたり、子供の頭をなでたり、ペットを可愛がったりする時に感じるのがオキシトシン的幸福で、これが一番長続きする幸福感を感じる行動としては奨励されています
独り者の場合は幸福の基準は自分が主になりますが、家庭をもてば「自分の仕事は好調だけど、子供が落ち込んでいて気がかり」など、言い方は悪いですが不幸の種は増えます
子供をもてば親の苦労が理解でき、部長になれば「下から見てるうちはわからなかったけど、部長って大変なんだな」と上司の苦労がわかるようになります
基本的に役職が上がり、子供をもてば苦労は増えるのが普通だと思います
幸福な年齢・不幸な年齢
アメリカのダートマス大学の経済学者デイビッド・ブランチフラワー教授が、世界132カ国で「人生の幸福度と年齢」の関係について調査したところ、人生の幸福度は18歳から下がり始め、先進国で47.2歳、途上国で48.2歳でもっとも不幸になる傾向があることがわかったそうです
先進国でも途上国でも50歳手前がもっとも幸福度が低いんですね
その後はU字形を描いて上昇していき、もっとも幸福になるのは80代だと述べています
高齢になると体力が低下して、家族や友人との離別などさまざまな喪失も経験し、社会で活躍することも減っていきますから、幸せとは縁遠いのではないかと思ってしまいますよね
なぜ、老後に幸福度が上がっていくのでしょうか?
この現象は「エイジング・パラドックス=加齢の逆説」と呼ばれますが、面白いのはこれが世界共通の傾向であり、先進国や発展途上国といった社会の状況や人種とはまったく関係がないということです
日本の場合、幸福度の底は49歳でもっとも幸せな年齢は82歳以上だそうです
とはいえ幸福というのは主観的なもので、幸せになる条件が明確に決まっているわけではなく、お金に困っていても自分は幸せだと感じる人もいれば、どんなにお金があっても自分は幸せだと感じられない人もいます
若い頃というのはつい上を見てしまうものなので「 もっとお金を稼ぎたい」「もっと活躍したい」「もっとモテたい」など、よりも上に行くことしか考えていません
18歳から幸福度が下がるのは、自分より幸福な人と比べ始めるからかもしれません
しかし高齢になると「体が動くだけマシ」とか「食べられるだけマシ」と下を見られるようになり「幸せの基準値」が低いほうが幸せになりやすいということになります
私の元上司も、ご自宅にお邪魔した時に元気に帰ってきたお孫さんの声を聞いて「子供が元気に『ただいま』と帰ってくる声を聞く時が一番幸せだ!」と語っていました
バリバリの支店長時代は「○○支店に負けるな!」「おまえ同期の○○になんか負けるな!」と常に上を向いて生きていた人でした
そんな人でも孫の「ただいま」の声だけで幸福を感じるようになります
この辺の変化が50代以降、幸福度が上昇する理由のようです
幸せの基準値によって幸不幸が決まる
今の40代後半や50代前半などの世代は「貧乏くじ世代」などとも呼ばれています
バブル崩壊後の就職氷河期に厳しい現実を目の当たりにし、その後の長い景気低迷によって給料はなかなか上がらず、常に人手不足で長時間労働は当たり前、これからの日本の先行きもどうなるかはわからないと不安と苦労が多い世代です
対して昭和入社は、経済は絶好調で当たり前のように給料も役職も上がっていきました
そんな世代に「俺はお前の年には課長で給料も○○万だったぞ!」など言われれば、生まれた時代を呪いたくもなります
このように考えると悲観的になりますが、発想を変えてみれば違う一面も見えてきます
逆に言えば上の世代に比べて、貧しくてもやっていけるメンタリティがあり、参照点が低い分、目の前の現実に価値を感じやすいとも言えます
「幸せの基準値」が低いほうが幸せになりやすいという法則でいえば、幸福度が高くなるということです
大事なことは他の人や国と比べるのではなく、目の前の幸せを享受し、今の自分を心から大切にするということだと思います
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました