国が違えば文化は違う
昔、後輩で有休を含め30日の休暇をもらい東南アジアを旅した強者がいます
時は平成の前期ですので管理職といえば昭和入社が圧倒的に多い時代ですから、よくも30日も休めたなと思います
ホテルにも宿泊しますが、村と村を渡り歩くような放浪の旅だったようです
東南アジアでは幼虫などの虫を食べる場所も多く、さらに生きた幼虫が盛られて出た時は「無理!」と思ったそうですが「国境を越えるということは移動だけでなく、文化も受け入れること」と、しっかり食したそうです
その後輩君は「日本のような島国の人間は他民族に占領・支配されたことがないので他文化を強要されることがなかった」と悟って帰ってきました
日本はあまり積極的に移民を受け入れませんが、国内に人種が増えれば様々な文化や民族の質の違いを知るようになります
「人はお互いの違いを知ることがもっとも重要」だといいます

大企業が取り入れる「人類学」
少し前「サピエンス全史って本いいぞ!」と先輩社員から言われ、本屋に行くと世界的ベストセラーでした
いい本ですが、いかにせん厚すぎです(笑)
ソニーや日立など企業経営に「人類学的アプローチ」を取り入れる動きが広がりつつあります
ソニーは文化人類学の博士号取得者の採用公募したほどです
日本総合研究所も人類学者が設立したスタートアップ・メッシュワークと組み、人類学の知見を活用したコンサルティングサービスを開始しました
日立製作所は1990年代から人類学的知見を取り入れ、人類学の博士号取得者の採用を始めています
文化人類学者の中村寛教授は 「企業の間で人文知=人文学的知識を求める傾向が強まっていることが背景にある」 と述べています
企業は様々な問題を人類学的アプローチを用いて解決に取り組んでいるそうです
日本の大企業ではメンバーシップ型雇用システムが採用され、部署を数年ごとに異動しさまざまな知識や経験を身に付ける「ジェネラリスト」が良しとされてきました
メンバーシップ型雇用はある意味、人を守るという側面もありました
ただ、劣化した旧態依然のシステムは時代に合わせて変えなければなりません
そのような 時に役立つのが人類学だそうです

人間の定義そのものが変わってきている
人類学は人々の生活様式や考え方、言語や慣習などの文化的・社会的な側面から「人間とは何か」を研究する学問です
東南アジアを30日放浪旅行した後輩のように、研究対象の人々の生活に密着して観察する「フィールドワーク」を通し、肌感覚でその文化や社会を捉えていく手法が特徴とされるます
人類学は向き合い方の態度そのものであり、もっと身体的なものであるという点に大きな価値があり、企業やそこで働く人たちが具体的に社会をどう認識しているのかという点にメスを入れていく手法として、人類学が一番フィットするのではないかといわれます
中村教授は「人間の定義そのものが変わってきている」点に着目しています
「人間は新しい技術を手にすると違う人間になり、文字がいい例で、文字が発明される前と後では記憶の仕方や記憶の思い出し方が変わり、スマホや生成AIもそう です」と述べています
生成AIに関しては、今後『働く』という概念が根本的に変えそうです
今までの古い労働観を手放していく岐路に立っており、それに伴って「余暇」や「遊び」などの関連概念も大きく変わる可能性が高い時代です
「そうしたさまざまな変化に対応するために、人間を間近でじっくり観察する人類学が注目されるようになってきたのではないでしょうか」というのが中村教授の主張です
人類学者の採用は欧米では普通のことで、アメリカでは1970年代ごろから人類学の博士号取得者の採用が行われています
私が採用から教育企画部に異動になった時「昭和のモーレツ時代の教育はもう時代遅れだ」というのが社会で叫ばれていた時代でしたが、私が培った平成の教育ももう古くなりつつあります
昭和の企業教育、平成の企業教育は終わり、新しい働き方の令和の教育が始まっていくのだと思います
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました