コミュニケーション能力って必修なのか?
今は文春砲に砲撃をされている松本人志さんですが、以前「友人は多い方がいいですよね?」という問いに対して
「友達って必要ではあるけれど、そんなにたくさんいらない!ニ~三人いればことたりる!」
と話していました
友達がいれば「楽しい時は2倍の楽しさになり、辛い時は辛さが半減する」「ならば多い方がいいよね」となりがちですが、そうでもなさそうです
ここは人によりけりで、多い方が幸福感を得やすい人もいれば、そうでない人もいます
以前、中小企業大学での3日間の泊まり込みでの講義を受けた時、講師は「職場はコミニュケーションが重要で、風通しの良い社風がベスト」その為に・・・といろいろな手段を話してくれましたが、グループ討議の時間に某トラック会社の社長さんが「長距離トラックのドライバーは一人の時間が好きで、人との交わりを嫌う人が多いんです」と話していました
「人と交わることがない仕事だから選んできたのに、無理やりコミニュケーションの場を作る必要があるのか?」
聴けばその社長さんはその人なりに、無口なドライバーさんたちをまとめています
「コミュニケーション能力が組織では求められている」
「誰とでも付き合える和合性のある人が優秀」
「孤独は害」
でもなさそうに感じます
友情は自由意志によって生まれる人間関係
「社会人で最も必要なのがコミュニケーション能力」と主張する人がいますが、本当にそうでしょうか?
同時に「人生の幸福度を見た時に友達の多さは大切なひとつの要素」という人もいますが、そうでもなさそうです
友情は最も放置されやすい人間関係の一つで、放置したせいで友情が悪化していくケースは多くあります
友情は自由意志によって育まれるので、だからこそすばらしいし、だからこそはかないのです
はかないものだからといって、大して価値がないわけではないですよね
『必要な友人の数は人それぞれで違う』と言えると思います
特に古い世代の男性は「仕事が人生のすべてだった」という人も多く、定年後に組織から切り離されると、人と話すこともなく、かといって出かける場所も趣味もなく、ただただ時間を浪費するだけという人もいます
『人生は壮大な暇つぶし』という考え方もありますので、それはそれでいいと思います
あらゆる生物は、食べて・排出して・寝ての生命維持活動と、子孫を残す活動以外はプログラミングされていません
どうしても必要なものは快楽によって誘発されるようになっています
「私の生まれてきた意味は・・・」
「私の使命は・・・」
などは単なる個人の解釈でしかないのです
没頭するものがないと孤独
ホリエモンが「スマホいじってる時に電話が掛かってくると、いらっとする!」と言ってましたが、少し共感します
林修先生が孤独だという悩みを聞かされて「何か学んだり、考えたりは一人でしか出来ませんよ!学ぶ意欲がなさすぎだから孤独を感じるんじゃないですか?」と述べており、ごもっともだと思ったことがあります
没頭して何かに取り組む
没頭して何かを学ぶ
没頭して何かを考える
これは一人でしかできない行動で、一人でも孤独を感じません
1度だけ新規にオープンの支店の支店長をしたことがありますが、とにかくゼロからの立ち上げは忙しく、学ぶことや調べるものも多く、半年ほど没頭して人との交わりがありませんでしたが、孤独感はありませんでした
執念・没頭・のめり込みの状態では孤独と無縁のようです
何かのめり込むものがある人は、そんなに多くの友人は必要なさそうです
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました