文明と文化の違いは?
「あなたの仕事は何に分類されますか?」と聞かれると戸惑いますよね
仕事の分類方法は多数あるからです
1次産業・2次産業・3次産業
○○業界
ホワイトだとかブラックだとか 多数の分類がされますが
私は 文明・文化 の分け方を企業説明会・新入社員研修で良く話ます
企業説明会で「違いがわかる?」と 聞くとほとんどの学生が的の外れた答えを言ってきます
例えるなら
文明が「シャワー」文化が「温泉」
文明が「自動車」 文化が「人力車」
身体の汚れを落とすだけならシャワーは便利です
なのになぜ「遠い」「お金が掛かる」「時間がかかる」温泉に行くのでしょう?
私は浅草に長く勤務しましたが たくさんの人力車が走ってます
タクシーの方が安くて速いのに なぜ人力車に乗る人が多いのでしょう?
文明は「文明の利器」というように私たちの肉体的な負担を減らすもの・便利なものです
新幹線や航空機による長距離移動
洗濯機 掃除機 ガス 水道 電気・・・
数々の文明の発展により「肉体的負担の低減」=便利で快適な生活が出来るようになりました
文明は 現実的行動を豊かにするもの です
対して文化は 精神を豊かにするもの です
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人は「便利・快適」だけでなく「精神を豊かにしたい」という欲求があります
それが
音楽だったり
映画だったり
お笑いだったり
ファッションだったり
アニメだったり
教養だったり
食事だったりします
社会は文明と文化がまじりあって発展します
江戸時代は300年間の鎖国により「文明的発展」はありませんでしたが 大いに「庶民文化は花開いた時代」といえます
明治維新で鎖国の扉を開くと「遅れた文明を急速に取り入れる時代」になります
戦後も庶民は
3種の神技・・・冷蔵庫・洗濯機・掃除機
それが行き渡ると
3C・・・カー(自動車)・クーラー・カラーテレビ
を求め続けてきました
昨今の時代を見るにあたり「文明的欲求は薄くなり」「文化的欲求に傾斜している」ように感じます
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精神的満足度に傾斜し始めている
堺屋太一さんが「強い日本」「豊かな日本」の次に来るのが「楽しい日本」であると言いました
思えば平成は経済の低迷による「現実苦」から「精神的な豊かさ」に比重が置かれていきました
いろいろなスイーツが生まれ
ゲーム機が発展
アニメ人口は急増
インターネットサービスは爆発的に伸び
東西に大型テーマパークが造られ
人々が観戦するスポーツの種類が増え
大型ショッピングセンターが全国に造られ 映画館まであります
「経済は低迷し現実は苦しかったけど 精神的満足は増えた」のが平成の時代ではないでしょうか
「文明の発展は危機だ!テクノロジーの進歩は仕事を奪う!」
という人もいますが
文化も『人々の志向の変化』に翻弄されます
ナタデココは消え タピオカも陰りが・・・
食も 音楽も ファッションも「志向の変化」で消えたり伸びたりします
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Z世代になると「生きるために地味で辛い仕事をする」という意識が希薄になってきているような気がします
「仕事はお金を稼ぐためにするものだから苦しいのは仕方ない」という割り切り方は弱くなってきています
「好きでないと続かない」
「楽しさを見出すのが第一」
精神的満足度に傾斜してきているように見えます
昔から「生きるためにとにかく仕事する=現実型」と「才能を生かして楽しいを優先した仕事をする=精神型」とはありました
現実型の方が社会にとって都合がいいため 教育は「現実型固定教育」になります
「好きは仕事にできない」と教え込みます
そろそろこの教育はメッキが剝がれてきました
「仕事は才能8割 好きを仕事にした方がいい」ということです
「努力は夢中に勝てない」
「努力すれば報われる」「仕事は本来つらいもの」という思想は正しくないのです
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才能の人と人徳の人
学習期という20年前後で「才能を見つける」「志向を定める」は短すぎる人が大多数です
道教思想に長けた方に教わったことに 人は「才人」と「徳人」がいるということ
「好きなこと」とは「それをしていると精神的に満足」なことだそうです
「才人」とはいち早く才能が開花して「才能で世を渡る人」
「才人に『生きるために仕事=現実苦』をさせても萎れてしまう」
「徳人」は才能が見いだせなかった人
勤勉とか 人徳とか そっちを伸ばすしかない「徳をもって世を渡る人」
最初の会社の教育方針は
「能力は存在するものではなく 開発するもの」でした
ただ教育企画部を出るとき一番古い役員に
「8割の人間はもっている才能に気づかないで終わる」
「だから『忍耐』『努力』『忠実』が教育の核となる」と言われました
「好きを見つける」「才能を掘り出す」には「なんでもいいから手当たり次第にやってみること」だそうです
行動に移さない人
人の発言を何でも否定する人
は「好きも才能も見つけられない」ということです
「日本の思想教育は『従業員育成教育』」という人がいます
企業に勤め 勤勉に働き 組織に忠実に生きる
この教育も劣化してきたように見えます
堺屋太一さんの言う通り 小さなベンチャーがどんどん増え
たとえ小さくとも「好きを仕事にできる人」が増えれば
老後の労働問題もなくなり
「楽しい日本」になっていくのではないでしょうか
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました
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